久し振りのミュージシャン時代の話し

何度もこのブログで書いてきましたが、私がプロギタリストとしてデビューしたのが、高校3年生の冬です。
10年業界でギターを弾いて来ました。10年は長いようですが、今思うと凄いスピードで時間が過ぎ去っていたと今は感じています。

私は今迄誰のコンサートでバッキングの仕事をして来たのか・・・余り実名は書いてきませんでした。理由は色々ありますが何だか自慢話みたいになるなが嫌で書く事は控えて来ました。
しかしどうしても今書いてお置かなければ後悔するであるかと思って、勇気を持って一つのエピソードを書く事にしました。
私がプロで10年ギターを弾いて来た中で一番宝物の様なエピソードがあるのです。この事は我が家のかみさんしか知らない話なのです・・・自分の中の大切な思い出なので自分の中でしまって置きたかったのです。

私は19才になって半年してから(私は4月生まれなので高校を卒業して半年後話です)、先輩ギタリストの紹介で当時のトップアイドル・・・今では伝説となっている百恵さんのバンドに入ることになりました。
編成はホーンセクションが3名・リズム隊はドラムにパーカッションにベースはそれぞれ1名ですが、キーボードは3キーボードでした。肝心のギターですが紹介して頂いた先輩ギタリストと私の2名でした。コーラスは女性3名なのでかなりの大所帯の編成でした。当然トップ歌手ですからマネジャーさんに至っては常に4~5名はいたと思います。

まぁ駆け出しの19才の私が入れるなんて夢にも思っていませんでした、何しろ他のメンバーは30代以上の方ばかりでしたから・・・今考えてもラッキーな事だったと思いますし紹介して頂いた先輩ギタリストには感謝しかありません・・・。

百恵さんのスケジュールは本当に凄くて平日はテレビ関係の出演で、週末が地方でのライブという感じでした。
私は彼女の愛染橋と云う曲の時は、百恵さんがテレビに出る時はアコースティックギターとしてギターを弾くために一人で付いて回っていました。
業界では当時その手のギタリストは”挿し”と呼ばれていました。当時のテレビ番組は殆どがビックバンドが演奏するので、売れている歌手の方は”挿し”のギタリストを連れて出演するのが通常でした。
やはりビックバンドのギタリストでは中々表現出来ないので仕方がありませんでした。

余談ですがギターにうるさい野口五郎さんの”挿し”を演っていたのは、後にテンソウのギタリストの横内タケさんでした。何度かテレビでご一緒した事があってお話する機会がありましたが、凄く良い人でした。勿論ギターは私なんて足元にも及びませんでした。その昔かまやつひろしさんのバックでオレンジというバンドがあって、そこでギターを弾かれていたのは中学生の時に知っていたのでその話で盛り上がったりしました・・・。

私が百恵さんのバンドに在籍していたのは引退される半年くらい前までです・・・とても良い経験をさせて頂きました。
アコギで1コーラスギターと歌だけの曲なんかもあって百恵さんが私に、自分はこうやってリズムをキープしているのでギターもその感じでキープして欲しいとわざわざ私ののところま来て、リズムを口ずさんでくれました。

コンサートでは名曲ばかりで演奏していて本当に楽しかったしですが緊張もハンパではありませんでした。
いい日旅立ちや秋桜は思わず聴き入ってしまうくらい百恵さんの歌唱は素晴らしかったです。

良い事ばかりではありませんでした・・・ツインギターの絡みが駄目でお叱りを受けた事も何度かありましたし、ホーンの方達には聞こえるように嫌味も言われたりしました。辛かったですが駄目なのは自分なので必死でした。
キーボードの方たちはとても優しく接してくれましたし、その事で逆に期待に答えなくてはとプレッシャーもかなり感じていました。

エピソードは2つあります・・・。
一つは地方のステージに上る10分位前に百恵さんからこんな事を言われました・・・”私も長い事歌っているけれど自分より年下のミュージシャンと一緒にライブを演るのは初めて・・・歳を聞いてびっくりしたよ”と気さくに話して下さいました。
私は何と答えて良いのか分かりませんでした・・・確かありがとうございますなんていったと思います。

もう一つのエピソードは私の一番の思い出です。
コンサートが終わって新幹線で帰京するのですが、当然百恵さんはグリーン車で私達ミュージシャンは普通の指定席です。
そこで事件が起こりました。なんとグリーン車の百恵さんは私の所にわざわざやって来てくれて、少し話がしたいと言ってくれたのです。
当然新幹線の中はパニックです・・・百恵さんが普通の座席に来たんですからね。マネージャーさん達は大騒ぎです。
しっかりガードして大変な事になってしまいました。
百恵さんは当然窓際の席に座って私も窓際だったので、向い合せの格好になって、殆ど膝を突き合わせて1時間ほどお話をさせて頂きました・・・。驚いたのは話の内容です、私に興味があるはずなんて無いと思っていたのに、かなり私の事を色々聞かれました。音楽とは関係のない話がほとんどでしたね。
普段の生活とか、彼女は居るのかとか、いつからギターを弾いているのかとか色々質問されました。私も聞かれたからには答えない訳には行きません。最後は何だか普通の女性と話している感覚になっていました。
それくらい百恵さんは素晴らしいお人柄でしたね。

日本中の人が憧れる人のバンドでギターを弾けるだけでも幸せなのに、新幹線の座席で向かい合わせで色々な話が出来た事は遠い昔の話ですが、今でも鮮明に記憶の中にあります。
ステージやテレビとは違って、ラフなジーンズ姿だった事も驚きでした、何処にでもいる若い女性の様でした・・・そして何より気さくで良く笑う方だったのも意外でした。
あとは本当に美しい方で、光り輝いていました。
既にご結婚の発表をした後だったか、前だったかは記憶が定かではありません。

私のギター人生の中でも最高の思い出であることは間違えありません。

百恵さんのライブで初めてライブに向かう新幹線の中でマネージャーさんからその日のライブの譜面を渡された事も驚きました。私はリハもなく一体何時譜面が見れるのか不安で仕方がなかったでしたから。まさか初見でやる事はないと思っていましたが、何時までたっても譜面が手元に来なかったです。私は新幹線の中でとにかく譜面とにらめっこでした・・・そして初ライブをこなしたんですから・・・自分でもよく頑張ったと思います。

有名な引退公演のギターにはスタジオ・ミュージシャンの沢さんが弾いています。沢さんはGS関連出身のギタリストで腕前はピカイチでしたね。亡くなったジョーのバンドにいたらしいです。ギターはB・C Rich を使っていました。
私の先輩ギタリストとツインでやっていました。私の出番なんてある訳はありません、レベルが違いすぎました。
その後沢さんは沢田研二さんのバンド、エキゾチックスで初期頃ギターを弾いていました。
私が沢田研二さんのバンドのオーデションを受けた時にいらっしゃいましたね。その後に引退公演があった訳です。

引退公演のレコードは裏話があってドラムパートは渡嘉敷さんが後から差し替えのダビングをしています。色々な事情があったとの事は私も聞いています。

私がプロになって10代のうちに大人達・しかもかなりのレベルのバンドに入れた事は幸せだったとしか言えません。
しかも百恵さんと個人的にお話できた事、人生の大切な思い出です。大切にしています。

20才の私。

バンドでB.C.Rich のイーグルを弾いている、カーリーヘアが20才の時の私です。
悲しいくらい懐かし映像です・・・36年前。戻ってもっと練習したかった。。。
ちなみにこの番組では、ほぼ初見での演奏でした。
譜面を見てカウントが出るまで1分位。カメリハが始まって、OKなら即本番でした。

アンプはブギーの50W です。ブラックのモデルでした。
カッティングのコーラスは確かMXR だったと記憶しています。。。


何年も放置していました。

このブログも放置状態でしたが、のんびりとゆっくりと再開することにしました。
私の知り得る音楽理論・・・ブログに残して置きたいからです。
ギタリスト以外の方にも楽しんで頂ける様な、そんな記事が書けたら・・・と思っています。

実践では理論よりも大切な事が沢山ありますが、それも音楽的な背景があっての話です。。。
そんな事をこれからは記事に出来たらと、思っています。

昔はライバルだったギタリスト Part2

前の記事で、昔はライバルだったと思っていたギタリストについて以前書きましたが、もう一人勝手に私がライバル視していたギタリストについて今回は書こうと思います。
前回同様、勝手に私が一方的にライバルだと思っていたので、ご本人には極力迷惑の掛からない事を書こうとは思いますが、勢いで色々と書いてしまうかもしれませんが、ご理解下さい。

彼の名前は窪◯晴◯さんです。私より1年先輩のギタリストで今でもご活躍なされています。セッションギタリストというよりは、バンド系の色のギターを弾くんですが音楽に対する姿勢やら、ギターのトーンには随分と影響を受けました。
彼は結構苦労人で、バイトをしながら”人種熱”ってバンドで注目されたのが私が彼を知った、最初の時期だと思います。
マニアックな路線の好きな方はS-KENさんと言うヴォーカリストをご存知かと思いますが、彼は長い事そのバンドのバンマスとして良いギターを弾いていました。
最初の時期、S-KENバンドはレベッカの小田原豊さんがドラムを叩いていたのですが、レベッカが売れてスケジュール的に厳しくなって、後任のドラマーを私の一番仲の良かったドラマーが叩く事になった時期から一気に私との距離が、近くなった感じです。

ただ彼の凄い所は、その時期に当時バッキング・ミュージシャンの中でもミュージシャンの質の高い事で定評のあった、ユーミンのバンドに加入した事でした。
ユーミンバンドに入った時期を境に、彼の出すサウンドは素晴らしく変化したと私は思いました。
とにかくクリーンサウンドの良さは脱帽でした・・・モジュレーションの掛かった彼の弾くアルペジオや、やたらと切れのあるカッティングには相当な影響を受けました。
当時、最先端の音だったと思います。私も似た音を出そうと随分と研究したもんです。

彼は個性的な音を追求するタイプのミュージシャンだったと思います。使っていたギターもアリアのアクティブタイプのギターを使い続けていました。
同じサブギターをどうしても欲しかったらしく、色違いの同じモデルをつのだ☆ひろさんのバンドに居た加納さんから譲り受けたとも聞きました。
ちなみに彼のギターを少し借りて弾いた事がありましたが、結構弾きにくかったのが意外でした。

彼のライブは随分と見ました・・・勿論ほとんどがミュージシャンの特権で無料でしたが(笑)。
どのライブでも個性的で自分のスタイルを変えない彼の音に対しての姿勢は、私に一番欠けていた部分だと今考えると思えます。
結局彼の個性のある素晴らしいサウンドはすぐに坂本龍一さんの耳にとまる事になります・・・当然ですよね。
坂本さんのツアーでのプレイは圧巻でしたね・・・凄かった。

一度彼のバッキングの仕事のリハーサルにお邪魔したんですが、リハーサルの進め方・バンドのサウンドに対しての考え方は、本当に参考にさせて貰いました。

彼と偶然、同じスタジオで別々にレコーディングの仕事をしていた時に、ミキシングルームに居た彼が、休憩で煙草を吸いに外に出た私のラックのセッティングに、わざわざスタジオ内に入ってきて暫く覗き込んでいた事は、凄く嬉しかった覚えがあります。
その後、少し話してセッティングについてお互いに話した事は凄く良い思い出として残っています。

その後は彼のリーダーバンドであるパール兄◯での活躍は私の中でも凄く嬉しかったんですが、残念な事に解散してしまう事になってしまいましたが、最近そのバンドのドラマーだった友人に聞いた所、再結成ライブをやった事を聞いて見に行けなかったのが残念でした。

私個人が彼のベスト・セッションだと思うのは、矢野顕子さんのこの曲です。
地味な感じですが、ギターは凄くいいですね。


勝手にライバル視していた自分が情けないと思う素晴らしいの一言です。

昔はライバルだったギタリスト

ご本人は全然気にしてはいないのは120% 超は確定して居ても、勝手にこちらがライバル視するって事はどんな世界にも学校や会社の中にも、絶対にある現象です。
ほぼ、気にしてない側の方が勝手にライバル視している側を上回っているパターンが世の常でしょうか。

私も20才前にあるギタリストに勝手なライバル心をメラメラと燃やした事がありました。今ではギタリストに留まらず、アレンジャー・コンポーザーとして我々の年代では恐らくナンバーワン・ギタリストであろう鳥◯ 雄◯さんです。
私のブログでリンクされているギターマジシャンさんの高校の先輩だったのも何かの偶然でしょうか・・・。
彼とは色々な場面や人伝の話やら色々なエピソードがあります。

彼は私の2学年先輩で私が一番行きたかった慶応出身です。そのへんも明学の私にはコンプレックスだったのかも知れません。高校受験の時に担任から絶対に落ちるから、明学にしろと決められた経緯があったのが大きいですね。
余談ですが、プロになって慶応の日吉キャンパス入り口の真ん前に車を停めて、道路の向かいの日吉駅で友達と待ち合わせた時に車から降りる時に聖徳太子5枚入りの財布を落とした事で、慶応とは本格的に縁のない自分をハッキリ認識しました(笑)。

彼の名前を初めて知ったのは私の仲の良い友達が湘南の高級住宅街の鵠沼に住んでいて、同じ鵠沼に凄いギタリストが居るって噂を聞いたのが最初でした。しかも何度か自宅にお邪魔した事があるとの事。
名前が”トリヤマ”って事はその時知りました。確か18才の終わりかそこら辺の頃です。

今ではドラゴンボールの著者で一般的に普及してスタンダード化した苗字ですが、当時は変わった名前なんだ・・・私の苗字も変わっているので名前を聞いた時の事はハッキリ覚えています。

何でもツェッペリンなら中学の時に完璧だったとか、お父様がジャズのペダルスチールギター奏者で当然ギターも弾く方との事や、慶応ボーイだと言う事や、ピアノも相当弾けるなんて事・・・色々と噂が入って来ました。
そんな時に友達から電話があって、何でもお父様が大橋 巨泉さんと仲が良くて、その関係で11PMのエンディングで演奏するらしいから、見た方が良いよと連絡がありました。
翌日の夜は、私は11PMを待っている状態でした。
そして巨泉さんのナレーションに続いてバンドの演奏が始まった訳です。曲は ”Wave” でした。今でもハッキリと覚えていますね・・・衝撃的でしたね。
当時人気の高かった、秋山 一将さんのトーンを少しフュージョンチックにした感じで、テーマからアドリブに至るまで、素晴らしい演奏でした。ギターはギブソンのES-330でしたが、お洒落でジャージーな雰囲気が印象的でした。昨年YouTubeで1度見つけて凄く懐かしかったです。
後日談で私の友人の話では、アドリブから何から何まで事前に全部考えていたフレーズだったらしいです。ご本人がそう言っていたとの事なので、ほぼ間違えはないでしょうね。

その後彼は、半年も経たずしてレコードデビューするわけですが1枚目は聴きませんでした。何だか勝手に意地になっていた感は、今思い返すとありますね。
生粋の湘南ボーイでしかも生粋の慶応ボーイの出すデビュー・アルバムに勝手に対抗心を持っていたんでしょうか・・・(笑)。

今になって冷静に考えれば自分名義でリーダーアルバム出して居るギタリストに、人のバックでちまちまとギター弾いている時点で、ミュージシャンとして敵わない事実に早く気付かなかったのは若気の至りでしょう。

そんなこんなで、ある時先輩のキーボーディストの方から連絡を頂き、今度売出し中のギタリストと一緒に仕事するからリハーサル見に来れば・・・とのお誘いでした。売出し中のギタリストとは当然彼でした。
スタジオは忘れもしない西新宿の水道道路沿いのレオ・ミュージックのスタジオでした。ヴォーカリストは遠藤京子さんでした。(遠藤さんのインパクトのある雰囲気にも驚かされました)
スタジオは結構狭いタイプのスタジオでほとんど部外者は立見の状況で1メートル先で彼が弾いている位の狭さでした。

先にスタジオにいた彼は湘南ボーイらしく着古したサーフィン系のトレーナーにホワイトジーンズに白いスニーカーといった、凄くラフだけど何だかやたらと似合っていました。
彼はそれ迄のイメージだとギブソンのES-330のイメージでしたがその時はフェンダーの白いストラトで弾いていましたね。いい音してました。
チョーキングが微妙に癖のあるチョーキングで、凄くグルーブする素晴らしいギターを聴かせて貰いました。
機材はアンプがデラックス・リバーブにローランドのスペースエコーにボスのオーバードライブは記憶しています。車はサニーのバンで湘南からのガソリン代がバカにならない事でぼやいていました。
あとは、思っていた以上に小柄で、きゃしゃな方だったのが印象深いです。
その時の演奏は勢いのあるカールトンが、ボスのオーバードライブでジャズっぽいフレーズを連発しているってイメージでした。私がやっていた歌伴とは天と地ほどの差のある、素晴らしい演奏でした。
あとインターサウンドのプリアンプの音ですね。インターサウンドのプリアンプは彼が初期型の黄色パネルを使っていて、私は一般的に評価の低い白パネルでした。そんな細かいところでも負けていましたね・・・。

Others.jpg

リハーサルの合間にトンデモないテンポで4ビート物(確かLucy Songだったと思います)をソロでガンガン弾いていたのが凄く印象的でした。この時点でもまだまだ負けてる事には全然気付かずに、ライバル視感は頂点でしたね。

その後、湘南の辻堂にあるブレッド・アンド・バターの経営するライブハウス ”リトル・ジョージ” でブレバタのライブがあって、かの友人から何人かで見に行かないかとお誘いを受けて行く事になりました。当時彼は、ブレバタのバッキングを結構やっていた様です。
そしてライブ当日が来て、私は当時桜新町に住んでいて湘南を目指して第三京浜で向かった訳です・・・そして第三京浜半ばで覆面パトカーに御用となりすっかり意気消沈した私は自宅へ引き返しました。
私が覆面パトカーに捕まったのは後にも先にも、それ一回だけです。やはり彼とは何らかの力関係があったのかも知れません。

そして彼の2枚目はロスでニール・ラーセンとレコーディングしているから聴かない訳には行きませんでした。買いましたレコード。
そのアルバム絡みで彼の六本木ピットインのライブを観に言ったんですが、控えめな彼にしては結構ステージ・パフォーマンスが良かったのと、女性客の多さに驚きました。あのルックスなら当然といえば当然でしょうか(笑)。
アンコールで演奏したベックの ”フリーウェイ・ジャム” がやたらと凄かったのを覚えています。この時ライブもストラトがメインでした。

その後は都内のスタジオで何度かお見かけしましたが、彼は当然私の事を覚えているはずもないんですが、レオ・ミュージックの件を話したら覚えていてくれました。5分程ですが使っているギターの話しなんかしたのを覚えています。
その後は演奏するフィールドが違い過ぎて、お目にかかる事はありませんでした。
ただ彼がどんなプレイをしているのかは、無意識にチェックしていました。85年過ぎに出た彼の ”テイスト・オブ・パラダイス” は良いアルバムでしたね。カールトンのフレーズをもろに弾いているところなんかを聴くと、あぁ~結構同じの聴いて居るんだななんて、妙に安心したりしました。この曲です。


それから数年後に彼が今現在所属している音楽事務所のオーディションを受けた時に、オーディション後に社長の武部さんから ”鳥◯とそっくりなギター弾くね” と言われた事が、やっぱりライバルだったのかな・・・なんて変に納得してしまいました。

元モーニング娘の方とご結婚されたのが驚きでした、なんでモーニング娘だったんでしょうか(離婚されたようですが)。

私は何だか今でもTV等でお姿をお見かけすると、懐かしくもあり弾いているギターに耳が行ってしまいます。ただ未だに小さなライバル心として、ジェームス・タイラーのストラトとベンツのSLKだけは絶対に買わないでしょう(笑)。
ジェームス・タイラーは本当に良いギターで、一度だけ弾いた事がありましたが欲しかったです・・・。

いつまでも現役で活躍している彼には、心からエールを送りたいですし、今後一層の活躍を願っているのは、昔の勝手にライバルだと思っていた私の願いです。

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Author:kamiyo.m
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