自分のスタイル&フュージョン・ブーム考。

先日の記事でギタリスト個々の“音”について書いたのでその続きな感じの内容ですが・・・。

先日(と言っても夏の初め頃です)友人のベーシストに誘われて、あるセッションに参加した際に自分の音楽スタイルみたいな事を考えさせられました。
演奏した曲は制約の無い感じの選曲ばかりで、久し振りに自由なギターを弾く事が出来ました。
個人的にはいいセッションでしたね。理由はワンコード物が数曲あって普段は全く弾く機会が無くて、随分と久し振りな感じでしたが、やっぱり楽しいですよね。
ワンコードでのソロは煮詰まりさえしなければ、セッションでは面白いですね。

そのセッションの参加ミュージシャンは初対面の方ばかりでした。誘ってくれた友人は当然知り合いでしたが私以外の方は顔見知りとの事で、アウェー感じがいい緊張感だったんだと思います。
現役の頃は初対面でいきなり演奏なんて事は当たり前の事で、音を出しながら相手を理解する・・・なんて事が日常でした。
ちなみに・・1日限りのセッションなんかでは、リズム隊とは近い位置関係だったり、知った顔ぶれなんかが居れば会話もあって過ごせるんですが、ホーン関係が入ったりすると初対面の方なんかは挨拶意外、一言も無いままって事はよく経験しました。
良い悪いは別として、仕事としての演奏の典型的スタイルの一つだったんでしょうね。

話を戻して・・先日の演奏の中で自分のギタースタイルについて、改めて考えさせられました。

私世代はロックから音楽を聴き始め、それを消化し切る前にフュージョン・クロスオーバーミュージックの洗礼を受けてしまいました。
ロック(ロック・ギター)を身に付けるには、もう少し時間を掛けたかったし年齢も重ねる必要もあったのかと思います。
特に私の場合八方美人的な性格が災いしたのか、高校生の時から多種多様なジャンルの音楽に手を出してしまい自分の中にこれ!と言うジャンルやスタイルの確立無しに、幸か不幸か職業としてギターを弾く事になってしまい、ギタリストとしては自分のスタイルが何処にあるのか・・・と言う不安感は常に持ち続けていました。
簡単に言うと、自信を持って本当に得意(好きな)なギターってこれです・・と言えないもどかしさでした。
言い訳がましいですが、仕事として要求される内容に対応するには、音・フレーズ・リズムのどれもが色々なジャンルの色々なパターンなので“自分の音”みたいな物は見失いがちでした。

フュージョンブームが去った後、どのギタリストも自分の持っているスタイル・音を確認する事になったんですね。
ちなみに、フュージョン・ブームはあっという間に日本の音楽シーンをほぼ一色に塗り替えたと思います。
一時的ではありましたが右も左も、まずは・・335(悪くても345、355はNG)・・ノンビブラートのチョーキング・・スケール練習そのままのフレーズでアドリブ・・ポップな爽やか歪み・・掛かり多目のコンプ・・ブレイクしたら16カッティング・・・。
ギターだけでもこんな感じなのに、ベースは弦高低目のチョッパー、ドラムは左手をロックスタイルから持ち替えて小さめのバスドラにタムを並べて小さ目の薄いシンバル、キーボードはシンセを右手でエレピを左手でペダルも二つで・・・。

ブームの流れはプロ・ミュージシャンにも波及して、過去にロック・フィールドで実績のあるギタリスト達もスタイルを変えたギターを弾いたりしたり、ジャズで有名なギタリストもエフェクターで少し音を変えて、リズムを流行のスタイルにして弾いたりしていました。
最も違和感を感じたのは、関西のブルース・シーンから出たバンドに在籍していた著名なギターの方でした。サンバ系の16に乗せたギター・スタイルは少し無理やりな雰囲気で、チョーキングもソコソコの早弾きはちょっとご本人にはマッチしていませんでした。

余談ですがフュージョンが日本でブームを起こしたのには、ひとつは“歌”の無いインストが主流だった事だと思います。日本人がバンドを組む際に一番のネックはボーカルでしたから。
英語圏の音楽ですし、一番きつい部分ですね・・・。

最大の理由は(個人的な考えではあります)日本のロック・シーンが意外にも閉鎖的な世界だった事が少なからず影響していたのでは・・と思います。
誤解を恐れずに言いますと、日本のロックは当初グループ・サウンズのカテゴリーやフィールドに居たミュージシャンやスタッフの多くがG・Sムーブメントが終わる以前から、新しい流れの音楽(基本はブリティッシュ・ロック)を海外から取り入れG・Sにそのサウンドを再現していて、それがG・S後の日本のロックの母体になったと思います。(私がプロでギターを弾き始めた頃、G・Sの最後の年代の方々がフリーのミュージシャン・アレンジャー・プロデューサーとして各方面で大勢活躍されていて、随分お世話になったし当時のお話なんかも聞かせて頂きました・・・人間の証明のソロで最高のギターを弾いていた“石間〇機”さんのエピソードは強烈でした)
ただ残念な事に全てが東京発、東京消化の音楽でした。
狭い東京で完結してしまうと言う事は、中々外からとか地方から余程の運や技量がないと入り込む隙間が無かったと思います。
あのキャ〇ルが鮮烈デビューした事ですら、東京のテレビ絡みの出来レース的な状況が無ければどうなったかは分かりません。
結果・・やはりある程度内輪な閉塞した世界になってしまい、地方からのバンドが名乗りを挙げるにはその後のコンテスト(8・8ロック・・等)が一番の近道になってしまいます。

そういった状況下で新しい音が入って来て、それまでとは違う流通の形態を作り出したと思います。
ロックよりも、ジャズのルールに最新のリズムを融合させたフュージョン・クロスオーバーが現れます。
今まで余り表立った活動の場のなかった、テクニックの備わったミュージシャンにスポットが当たります。
逆に閉鎖的な故、中々セールスに結び付かないロックは流れが止まった様に見えました。街からロンドンブーツが消え、洗いたてのスニーカーが増殖しました。
同じくして音楽もブリテッシュ・ロックが影をひそめ、イーグルスを筆頭にアメリカン・ロックの全盛期を迎えます・・・楽器店は335系のセミアコで溢れる事になります。
フュージョン・ブームの残した功績のひとつに、日本のミュージシャンの演奏能力・技術を短期間で底辺からレベルアップした事だと思います(あくまで独断ですが)。
もうひとつは、エンジニア・アレンジャー・サポートミュージシャン等の裏方職にも注目が集まり、そこを目指す若い世代が多数現れた事だと思います。

そんなブームも過ぎ去った後、ロックに帰る人もいれば、どっぷりとジャズに浸る人もいた事でしょう。勿論フュージョンに留まり追及して、極めようとするミュージシャンだっていました。更には、全く新しい音を探して新しいスタイルの音楽を追求した人もいた筈です。
私はどちらかと言えば30歳を過ぎるまではロックに帰ったパターンだと思います。
ただ音楽的な成長期にロックを演奏しなかった訳で、その道のミュージシャンに追いつくにはかなりの隔たりを感じました。
自分が器用ではあっても、深い部分まで自分の物にしたギター・スタイルを持っていなかったんですね。
その辺が私の限界なのか、自信が無くなりましたね。ただ仕事は継続していたので更にぎくしゃくした思いが付きまとった状態でしたね。
ギターを弾く段階があるとすれば、ステップを間違えてしまったんでしょうね。

今、好きでジャズを演奏したり聴いたりしていますが自分の弾くギターは本格的なジャズギタリストの弾くスタイルとはやはり違うと思いますし、かと言ってロックは聴くのは大好きですが多分弾けなくなっているんだと思います。アコギも今は殆ど弾けないかもしれないです。

ギターを一休みしている間に音楽を聴くと、キッパリ好きと嫌いな音楽みたいなものが自分にもあるんだな・・・と再認識しました。
ただ圧倒的に好きなジャンルやスタイルの方が多いですね。特にギター・ミュージックなら、ほぼ嫌いな物はないと思います。

そんな性格が災いした私のギター(スタイル・音)ですが、もう変化出来る年齢では無いので付き合って行くしかないでしょう。



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コメント

まったくの同感です

同年代の、フュージョンを通過したギタリスト、誰もが思っていることを、
的確にとらえていて、1行ごとに、うなづいて読ませてもらいました。

プロの人と、同次元で語るなんて、お恥ずかしいのですが、
完コピが好きなアマチュアなので、ギタースタイルも、好きな音も、
いまだに定まらず、反省したり、開き直ったりの繰り返しです。

ギターマジシャンさん。

コメントありがとうございます。

私が経験して、今振り返って記憶に残っている部分を書きました。
共感を得られた事、嬉しく思います。
同じ時代・同じ楽器で共に過した訳ですから、これからも宜しくです。

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Author:kamiyo.m
千葉県千葉市在住

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