ミュージシャン時代のスケジュール管理

今の時代のミュージシャン達はどんなスケジュール管理をしているのか、古い時代の私には全く分かりません。
今回は私が70年代から80年代終わりまで、どんな感じで自分のスケジュールを管理していたのか書くこ事にします。私の知り合いのミュージシャン達も殆ど似た感じでスケジュールを管理をしていたので、参考になるかと思います。

まずお断りしておきますが、私は決してスタジオミュージシャンではありませんでした・・・確かにスタジオでのレコーディングは数々こなしていましたが、基本はライブや放送関係の仕事が90%でした。
売れているスタジオミュージシャンの方はとてつもないスケジュールをこなしていたので、とても自分では管理が出来ません。ですから殆どが音楽事務所に籍を置いて、事務所が全てのスケジュールを管理していました。
松原正樹さんなんかは、スタジオで1日5本とか6本の仕事をこなしていたので、とてもではありませんがご自身での管理が不可能なのは当然ですよね。

では・・・私レベルの二流ミュージシャンはどんな感じだったのか書く事にします。
私がプロになった頃は携帯はおろか、留守番電話もない時代でした。自宅の固定電話が大切なアイテムでした。。。
子機もない時代の電話なので、電話が鳴ると何時だろうと常に速攻で取っていました。

演奏の依頼は殆どが電話でした。電話の横にはカレンダーは絶対に置いておかなくてはなりませんでした。後はメモ帳とペンです。今の時代では考えられない事ですが、仕事を確保するのですからその程度の準備はしていました。

では電話の相手は誰か?・・・私の場合は当時ミュージシャン専門にタレントさんや番組関係の仕事を確保する、通称インペク屋さんでした。今で云うところの人材派遣会社の様な感じです。
私が懇意にさせてお世話になったインペク屋さんは4社くらいでしたね。単発の仕事もあればオーデションの紹介があったり、オーデションなしでツアーの仕事などを紹介をして頂きました。
インペク屋さんは私の経歴や今迄の実績を知ってくれているので、私が出来ると思われる仕事を理解していてくれているので、助かりました。

他にはやはりミュージシャンの方からの電話です。ギターの方もいれば、他の楽器の方からも随分仕事の依頼がありました。アレンジャーさんからも少ないですがありました。アレンジャーさんの場合はCMの録音や劇伴の録音がほとんどでした。

インペク屋さん・ミュージシャンの方に関わらずまず聞かれるのは、何月何日は空いてますか・・・から始まります。
カレンダーをみて答えるのですが、駆け出しの時期はほとんどが空いていましたが、多少仕事が増えるようになってからはお断りするすることもありました。
体は一つなので、中々掛け持ちは厳しかったですから・・・。

スケージュールが空いていれば、次は誰の(歌手の方)仕事なのか、入り時間と音出し時間の説明があります。当然ライブなら何処に行くのかとか、何本のツアーなのかです。
単発なんかのライブも結構ありました。前乗りなのかとか、泊まりなのかとかです。後は飛行機の時間とか新幹線の時間です。

リハとか録音の仕事の場合はスタジオの名前を教えてくれます。
ギャラの話はその後になります。次にアコギを持ってきて欲しいとか楽器の事です。編成なんかもその時に説明を受けます。
私の場合殆どが初見の仕事が多かったですね・・・初見が効くと思われていたのかもしれませんが仕事ですから仕方がありませんでした。
ギャラに関しては自分で請求書を書かなくてはならないので、請求書は常に2冊位は持っていました。ギャラは振込もあれば、取っ払いと言って演奏後直ぐに支払われる事もありました・・・。

スケジュールも大体1月くらい前の確認が多かったですね。後は結構あったのが、前日の夜に明日空いてますかなんて電話は意外と多かったですね。勿論空いていれば断る理由はないし、私レベルが断れば次からは仕事は来なくなりますからね。
あとキツかったのは、当日の午前中に連絡がきて午後から空いてますか・・・なんてのもありました。午前中は殆ど寝ていましたから辛かったですね。その場合は殆どがスタジオの仕事でしたね。

一回だけあるギタリストが盲腸で深夜に病院に入ってしまい、その方の奥様から明日の仕事を主人の代わりにお願いできますかなんてのもありました。一大事でしたので私も快く受けました。

電話以外では現場で頼まれる事も結構ありました。インペク屋さんは一応現場に顔をだす方も結構いましたから。あとは現場でご一緒した方からなんかも、スケージュールを聞かれて仕事を受けたりしていました。

ラッキーな事に駆け出しの頃には埋まらなかったスケジュールも年月を重ねて、少しずつですが埋まるようになりました・・・幸運な事です。
ただ最後まで1月全部埋まった事は一度もありませんでしたね。月に3日休みだったのが一回あっただけです。

今迄書いた通りですね・・・スケジュールは全て自分で管理してしていました。思った以上に大変な事だった記憶があります。
あくまでも私の経験ですが、多かれ少なからず他の方も似たような感じだったと思います。

昔の話ですので・・・今の時代はどんな感じだったのかなと思ってしまいますね。メールもあるし・・・。便利な時代のミュージシャンが羨ましく思えます。

ついでですが動画もアップします・・・恐らく私が放送関係の仕事をした最後くらいの動画です。
向かって右手でオベーションを弾いているのが22か23才位の私です。
よく聴いて頂くとアコギのアルペジオが聴こえます・・・今ではこんなには弾けないと思います。今聴くとアルペジオのリズムが正確で自分でも驚きました。。。


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コメント

松田聖子

岩崎宏美やピンクレディのバックバンドに入りたくて、読譜力とテンションコードを覚えるためにジャズギターを習い、松田聖子のアルバムの松原正樹の演奏を聴いて、スタジオミュージシャンに憧れた自分には、本当に、そういう世界の人がいるんだなあとため息ものです。

アコギは、ハイポジションもよく鳴っていますし、ピック弾きのアルペジオも正確で、やはりプロの方は違うと、練習意欲がわいてきます。(今さら、練習してもですが・・・)

ヤンヤン歌うスタジオはよく見ていて、ドリフ同様、お笑い中心のバラエティでも、実力派の生バンド演奏だった時代が懐かしいです。

スケジュール管理は、ザウルスどころかシステム手帳もなかったでしょうから、いろいろご苦労されたと思います。

プロの方の経験談は、本当ためになりますし、楽しく拝見しています。

Re: 松田聖子

いつもコメントありがとうございます。

私達の若い時は電話以外の通信手段がなくて苦労しましたが、今の感覚での話で当時は当たり前だと思っていましたね。
私はグリーンの電話機でした(笑)。

岩崎宏美さんのバンドにも短期間すが在籍していました・・・半年位です。

確かに手帳は今みたいに良いのが無くて色々と探しました。青山のキラー通りのオン・サンデーズに良いのがあって使っていましたね。渋谷ハンズにも見には行きましたが気に入ったのがありませんでした。

アコギの件ですが、今は全くダメダメです。弾けないと思います。
当時はやはり上昇志向もあって頑張っていたので良かったのかなと思います。。。

松原正樹

当時、私は竹田和夫さんのクリエーションをコピーしなくてはならなくてその途中に知り合いのバックバンドでギターを弾く事になって初めて松原正樹さんのギターをコピーしました。

そしてライブで演奏した時の開放感というか爽快感が堪らなかった憶えがあります。

万人に受け入れられる音色フレーズで決して陳腐ではないギターアレンジ、当時は全く気がつかず弾きましたが、最近Providence PEC-2のレビュー動画を見てなぜ当時ファンでもない私が当時良い印象がだった理由がわかりました。
https://www.youtube.com/watch?v=mTOue9-TQKQ

1980年代初期の芸能人のバックミュージシャンの方達がLAあたりのエッセンスを皆取り入れてくれたおかげで当時の歌謡曲を聴いても爽やかな青春の1ページとして想いだす事ができて感謝してます。

携帯電話もメールもないからこそのエピソードとかも共感するのはきっと私達の世代だからなんでしょうね!

疑問なんですが、当時私達は[なんとなく、クリスタル]のサウンドトラックはかなりの影響があったのですが実際プロのミュージシャンの人達は私達程、崇拝していたのでしょうか?

Tonyさん

コメントありがとうございます。

正樹さんのコピーをするとよく分かるのですが、本当に曲にマッチした歌心あるフレーズが印象に残ります。
後はバッキングがかなり凝っていて勉強になりました。

固定電話しかない時代は確かに懐かしいですよね。決して便利では無かったですが思い出としては悪くなかったと思います。

なんとなくクリスタルに関してですが・・・私は聴いてはいませんでした。申し訳ないです。
私の周辺でも話題にはなっていなかったと思います。スミマセン。

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