昔はライバルだったギタリスト

ご本人は全然気にしてはいないのは120% 超は確定して居ても、勝手にこちらがライバル視するって事はどんな世界にも学校や会社の中にも、絶対にある現象です。
ほぼ、気にしてない側の方が勝手にライバル視している側を上回っているパターンが世の常でしょうか。

私も20才前にあるギタリストに勝手なライバル心をメラメラと燃やした事がありました。今ではギタリストに留まらず、アレンジャー・コンポーザーとして我々の年代では恐らくナンバーワン・ギタリストであろう鳥◯ 雄◯さんです。
私のブログでリンクされているギターマジシャンさんの高校の先輩だったのも何かの偶然でしょうか・・・。
彼とは色々な場面や人伝の話やら色々なエピソードがあります。

彼は私の2学年先輩で私が一番行きたかった慶応出身です。そのへんも明学の私にはコンプレックスだったのかも知れません。高校受験の時に担任から絶対に落ちるから、明学にしろと決められた経緯があったのが大きいですね。
余談ですが、プロになって慶応の日吉キャンパス入り口の真ん前に車を停めて、道路の向かいの日吉駅で友達と待ち合わせた時に車から降りる時に聖徳太子5枚入りの財布を落とした事で、慶応とは本格的に縁のない自分をハッキリ認識しました(笑)。

彼の名前を初めて知ったのは私の仲の良い友達が湘南の高級住宅街の鵠沼に住んでいて、同じ鵠沼に凄いギタリストが居るって噂を聞いたのが最初でした。しかも何度か自宅にお邪魔した事があるとの事。
名前が”トリヤマ”って事はその時知りました。確か18才の終わりかそこら辺の頃です。

今ではドラゴンボールの著者で一般的に普及してスタンダード化した苗字ですが、当時は変わった名前なんだ・・・私の苗字も変わっているので名前を聞いた時の事はハッキリ覚えています。

何でもツェッペリンなら中学の時に完璧だったとか、お父様がジャズのペダルスチールギター奏者で当然ギターも弾く方との事や、慶応ボーイだと言う事や、ピアノも相当弾けるなんて事・・・色々と噂が入って来ました。
そんな時に友達から電話があって、何でもお父様が大橋 巨泉さんと仲が良くて、その関係で11PMのエンディングで演奏するらしいから、見た方が良いよと連絡がありました。
翌日の夜は、私は11PMを待っている状態でした。
そして巨泉さんのナレーションに続いてバンドの演奏が始まった訳です。曲は ”Wave” でした。今でもハッキリと覚えていますね・・・衝撃的でしたね。
当時人気の高かった、秋山 一将さんのトーンを少しフュージョンチックにした感じで、テーマからアドリブに至るまで、素晴らしい演奏でした。ギターはギブソンのES-330でしたが、お洒落でジャージーな雰囲気が印象的でした。昨年YouTubeで1度見つけて凄く懐かしかったです。
後日談で私の友人の話では、アドリブから何から何まで事前に全部考えていたフレーズだったらしいです。ご本人がそう言っていたとの事なので、ほぼ間違えはないでしょうね。

その後彼は、半年も経たずしてレコードデビューするわけですが1枚目は聴きませんでした。何だか勝手に意地になっていた感は、今思い返すとありますね。
生粋の湘南ボーイでしかも生粋の慶応ボーイの出すデビュー・アルバムに勝手に対抗心を持っていたんでしょうか・・・(笑)。

今になって冷静に考えれば自分名義でリーダーアルバム出して居るギタリストに、人のバックでちまちまとギター弾いている時点で、ミュージシャンとして敵わない事実に早く気付かなかったのは若気の至りでしょう。

そんなこんなで、ある時先輩のキーボーディストの方から連絡を頂き、今度売出し中のギタリストと一緒に仕事するからリハーサル見に来れば・・・とのお誘いでした。売出し中のギタリストとは当然彼でした。
スタジオは忘れもしない西新宿の水道道路沿いのレオ・ミュージックのスタジオでした。ヴォーカリストは遠藤京子さんでした。(遠藤さんのインパクトのある雰囲気にも驚かされました)
スタジオは結構狭いタイプのスタジオでほとんど部外者は立見の状況で1メートル先で彼が弾いている位の狭さでした。

先にスタジオにいた彼は湘南ボーイらしく着古したサーフィン系のトレーナーにホワイトジーンズに白いスニーカーといった、凄くラフだけど何だかやたらと似合っていました。
彼はそれ迄のイメージだとギブソンのES-330のイメージでしたがその時はフェンダーの白いストラトで弾いていましたね。いい音してました。
チョーキングが微妙に癖のあるチョーキングで、凄くグルーブする素晴らしいギターを聴かせて貰いました。
機材はアンプがデラックス・リバーブにローランドのスペースエコーにボスのオーバードライブは記憶しています。車はサニーのバンで湘南からのガソリン代がバカにならない事でぼやいていました。
あとは、思っていた以上に小柄で、きゃしゃな方だったのが印象深いです。
その時の演奏は勢いのあるカールトンが、ボスのオーバードライブでジャズっぽいフレーズを連発しているってイメージでした。私がやっていた歌伴とは天と地ほどの差のある、素晴らしい演奏でした。
あとインターサウンドのプリアンプの音ですね。インターサウンドのプリアンプは彼が初期型の黄色パネルを使っていて、私は一般的に評価の低い白パネルでした。そんな細かいところでも負けていましたね・・・。

Others.jpg

リハーサルの合間にトンデモないテンポで4ビート物(確かLucy Songだったと思います)をソロでガンガン弾いていたのが凄く印象的でした。この時点でもまだまだ負けてる事には全然気付かずに、ライバル視感は頂点でしたね。

その後、湘南の辻堂にあるブレッド・アンド・バターの経営するライブハウス ”リトル・ジョージ” でブレバタのライブがあって、かの友人から何人かで見に行かないかとお誘いを受けて行く事になりました。当時彼は、ブレバタのバッキングを結構やっていた様です。
そしてライブ当日が来て、私は当時桜新町に住んでいて湘南を目指して第三京浜で向かった訳です・・・そして第三京浜半ばで覆面パトカーに御用となりすっかり意気消沈した私は自宅へ引き返しました。
私が覆面パトカーに捕まったのは後にも先にも、それ一回だけです。やはり彼とは何らかの力関係があったのかも知れません。

そして彼の2枚目はロスでニール・ラーセンとレコーディングしているから聴かない訳には行きませんでした。買いましたレコード。
そのアルバム絡みで彼の六本木ピットインのライブを観に言ったんですが、控えめな彼にしては結構ステージ・パフォーマンスが良かったのと、女性客の多さに驚きました。あのルックスなら当然といえば当然でしょうか(笑)。
アンコールで演奏したベックの ”フリーウェイ・ジャム” がやたらと凄かったのを覚えています。この時ライブもストラトがメインでした。

その後は都内のスタジオで何度かお見かけしましたが、彼は当然私の事を覚えているはずもないんですが、レオ・ミュージックの件を話したら覚えていてくれました。5分程ですが使っているギターの話しなんかしたのを覚えています。
その後は演奏するフィールドが違い過ぎて、お目にかかる事はありませんでした。
ただ彼がどんなプレイをしているのかは、無意識にチェックしていました。85年過ぎに出た彼の ”テイスト・オブ・パラダイス” は良いアルバムでしたね。カールトンのフレーズをもろに弾いているところなんかを聴くと、あぁ~結構同じの聴いて居るんだななんて、妙に安心したりしました。この曲です。


それから数年後に彼が今現在所属している音楽事務所のオーディションを受けた時に、オーディション後に社長の武部さんから ”鳥◯とそっくりなギター弾くね” と言われた事が、やっぱりライバルだったのかな・・・なんて変に納得してしまいました。

元モーニング娘の方とご結婚されたのが驚きでした、なんでモーニング娘だったんでしょうか(離婚されたようですが)。

私は何だか今でもTV等でお姿をお見かけすると、懐かしくもあり弾いているギターに耳が行ってしまいます。ただ未だに小さなライバル心として、ジェームス・タイラーのストラトとベンツのSLKだけは絶対に買わないでしょう(笑)。
ジェームス・タイラーは本当に良いギターで、一度だけ弾いた事がありましたが欲しかったです・・・。

いつまでも現役で活躍している彼には、心からエールを送りたいですし、今後一層の活躍を願っているのは、昔の勝手にライバルだと思っていた私の願いです。
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コメント

貴重なお話です

自分にとっては、当時、一方的なファンだったわけでして、
Les Paul L-5さんのように、お互いがプロ同士として、
演奏されたり、会話されたのが、本当うらやましいです。

76年の文化祭で、大村憲司やミカバンドの曲を弾いていて、
そのテクニックに圧倒されて、翌年は、追っかけ状態となり、
喫茶コーナーのBGMで演奏すると知るや、かけつけたりと、
教室、視聴覚室などを、うろうろして、演奏を聴いてました。

その77年は、クロスオーバー全盛期なので、リトナーだとか、
サディスティックスに、カバー曲のインストなどを弾いていて、
テレキャスターを弾くから、スティーブ・カーンに似てるかと、
その鋭角的なフレーズや、カッティングから、想像してました。

11PMのウェイブは自分も見て、蝶ネクタイにセミアコを抱え、
ジャズっぽい演奏に、なんだか、がっかりし、初ソロアルバムも、
ギターソロが少なく、指を痛めたのだろうかと、思ったほどです。

それにしても、Les Paul L-5さんが、ライバル視されてたり、
何度も接点がおありな、貴重なお話を聞き、すごく驚いています。

No title

初めてコメントします。
数日前にこのブログを発見して殆ど過去の記事を読まして頂きました。
私もプロとは呼べないレベルでしたが、バンドでは大きなライブハウスで、セミプロレベルの歌手のバック仕事でギターを弾いてましたが挫折、その後20年ぶりにギターを手にしました。
違いは、僕の場合、アマチュアなんだから好きなトーンでギターを弾きたいとチューブアンプとビンテージギターから出すナチュラルなオーバードライブサウンドに拘ってる点でしょうか?鳥山雄司さんは超エリートな存在だったんでは?と思います。僕の世代だと、学生服で出てた鈴木賢治さんでしょうか?
早弾きで有名になりましたが、今やシンプリーレッドのギタリストです。随分と差がついたな(笑)と思ってます。

ギターマジシャンさん

いつもコメントありがとうございます。
今回はギターマジシャンさん関連の記事を書きました。。。

やはり噂通り、高校の時も凄かったんですね。私は高校の時は軽音には席はありましたが、ほとんど同じ敷地内の大学生と大学の軽音でやっていました。
明学からデビューした”スペース・サーカス”のデビューする随分前に、今では亡くなってしまったギターの佐野さんなんかと一緒にやっていて高校の学祭は出たことがないのが、今思えば後悔しています。
3年の春にはバッキングの仕事を初めてしまったので単位すらやばかったんですよ。
最初は石野真子でしたね。彼女の唯一のライブアルバムにクレジットされました。次が百恵さんで結構その当時は勢いあったんですよ・・・。

高校生の時に一番練習したのは自分にとって、早くプロになれたのかな?・・・と思いますが恐らくギターマジシャンさんの先輩みたいにじっくり下地を固めてからやったほうが良かったのかななんて思います。
何にしても上手いしセンスは良いし、ギタリスト以外の才能もあるしライバルなんて思っていた自分が情けないと今は思っています。

酔いどれギターさん

初コメント本当にありがとうございます。
書きたい時に書きたい事を、気ままに書いているブログですが、これからも宜しくお願いします。

セミプロとおっしゃっていますが、セミプロはプロですよ。そんな様に私は感じていました。
前の記事に書いたとおもいますが、プロとアマの線引はないんですよね。今日から自分はプロだと言えばそれはプロなんですよね。ましてセミプロ=プロなんですよ。
私も現役を辞めたら、その日からアマチュアに戻ったんですから。。。

確かに鳥山さんは下積みのない感じは、私も同感ですよね。結構有名なギタリストでも下積み時代の話は沢山聞きましたね。
鈴木賢治君も下積みがなかった感はありますが、学生服でカラオケをバックに速弾きをするアイディアが凄かったですよね。
突然ロンドンに行ってしまってビックリしましたが、シンプリー・レッドのライブ映像を見ましたが、昔とは違う歌心のある堅実なプレーをしていて流石だなと思いました。

記事は色々好き勝手に書いていますので、読みにくい事も多々あると思いますが読んでみて頂けると嬉しい事です。

No title

鳥◯ 雄◯さんですか。(^-^)
ギタリストとしても素晴らしいですけど、アレンジャーというイメージも強いです。
最近見に行ったNOKKOのバックも務めていらっしゃいました。トレードマークは青いジェームスタイラーですよね。
難しいことはわかりませんけど、バランスのとれたきちっとした気持ちの良いギターを弾かれる方だなと思ってます。

テイルピースさん

いつもコメントありがとうございます。
彼は確かに堅実なプレイヤーですよね。スタジオ・ワークには最適なギタリストとしての資質を持っていますね。決して破綻しない安定感は中々出せるものではないですよね。
若い特は相当ハードな曲もやっていましたが、今は円熟の境地ななのかもしてませんね。

若い時から有名なプレイヤーは、やはり持ってるものが違うのか・・・なんて考えてしまいます。
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Author:kamiyo.m
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