過去のライブ体験・自由が丘ファイブスポット編。

ライブ体験と言えるかどうか分かりませんが、東横線の自由が丘(駅)に“ファイブ・スポット”と言うジャズのライブのお店があって度々通っていました。ライブの無い日はジャズ喫茶の様にジャズが流れるんですが、よくありがちな隣で腕組みをして俯いている方に気を使って小声でヒソヒソ注文して・・・って感じがなくて子供心にも好感のあるお店でした。
通っていた時期は私が17~19才の時期で年代的には70年代の終わりの頃でした。

私は三軒茶屋(三茶で通じる事になったのは何時からか分かりません・・)で育って親類も世田谷近辺に住んでいて、一番若い叔母が結婚して自由が丘に住んでいました。
叔母の所に遊びに行くようになって自由が丘を体験するんですが70年代はまだまだ地味な印象の街で80年代になってオシャレな街の代名詞みたいに扱われる前の自由が丘でしたね。

自由が丘デパート・花キャベツ・ロマンシューズ・亀屋万年堂・風月堂(当時あったとは思いますが定かでは・・)あたりが私も知っているお店でしたが、殆ど行く事はありませんでした。
用があったのってマルイ(つい最近無くなったのを知って驚きました)とその並びの小さいヤマハ位でした。マルイは小さい楽器売り場があったし、ヤマハはレコードを売っていたので行きました。
自由が丘は今でも近くに行く事があると立ち寄るんですが、当時の面影はすっかりなくなって夏の軽井沢に近い雰囲気が1年中続く街に感じます。
80年代の後半にもミュージシャン仲間と深夜のお茶に最適なお店が何軒かありましたが、全て無くなっていたのは仕方の無い事ですね。

さて、ファイブ・スポットなんですが・・・何かの雑誌だと思いますが渡辺香津美さんがデビュー前から出演されていたお店だと書いてあったと思います。
当時の私には新宿(しか無かったんですが)のピット・インは距離的にもお店の雰囲気も敷居の高い印象で、ジャズを知らないロック少年は雰囲気に圧倒されてましたね。
ファイブ・スポットの方は初めてが叔母夫婦と一緒だった事もあったし、お店も広くて明るい印象でそれ程の違和感はありませんでした。

ジャズのライブ(当時は生演奏だと思っていました・・ライブはホールでやる事だと思っていました)を見るのは田園コロシアムのVSOPが多分先だと思いますが、今では正確に思い出せません。
今では信じられない話ですが当時は東京ですら音楽的な情報量が圧倒的に少ない訳で、自分自身で体験するしか無い状況でした。10代の私にとってジャズ演奏は未知の領域の音楽でドラムのシンバル・レガートすら「なんでバシバシ叩かないんだろう?」と思うレベルでした。「なんでギターがいないのか」とかも本気で考えましたね(お恥ずかしい・・・)。

初めてファイブ・スポットで観たバンドはテナーにピアノトリオの編成でしたが、当然演奏されたミュージシャンのお名前はおろか曲名などは知る由もありませんでした。
後に何度か通ってテナー・サックスを吹かれていた方が尾田悟さんと知る事になります。そんな状態でピッコロベースで有名な鈴木勲さんも聴いた後にお名前を知るなんて事にもなりました。ピアノの大御所今田勝さんのお名前は知っていたので大丈夫でした。
内心は渡辺香津美さんを見れるのでは・・・と最後まで期待していました・・・残念ながら実現はしませんでした。

お店のオーナーが著名なジャズ評論家の方で、お店の名前ファイブ・スポットがN・Yにあるジャズ・クラブと同じ名前で、そのお店の名前を使った「ファイヴ・スポット・アフターダーク」なんて曲もある事を知るのは数年先になります。

そんな当時の私でしたが、生のジャズの音・演奏に接した事はいい経験だったと思います。どんなジャンルの音楽もそうだと思いますが、やはりライブ演奏を観る事が音楽を肌で感じるには最良の方法だと思います。たとえ聴く側がその音楽について未熟でも、聴く事に絶対に損はないと思います。

何故ならジャズの臨場感とかロックの音量(特にベース)とか一流ドラマーのタイム感とか演奏者の表情や動き・・・そんな事ってスタジオで完結するレコード・CDからは、中々読み取り難い部分ですよね。
今では音楽の映像が簡単に手に入って何時でも誰でも見る事が出来ますが、ライブでしか体験できない事は昔も今も変らないと信じたいですね。
特に音楽を目指す人にとって、そこが“感性”を最も成長させると思います。

数年してその頃より少しだけ音楽的に成長した私が、お洒落なお店が増え女子大生ブームの主役達で溢れた昼下がりの自由が丘に立寄った際にマルイ(名前も〇I〇Iに変っていましたが)とマルイの間の路地にあるビルの看板に、ファイブ・スポットの名前を探しましたが・・・24と書いてありました。
ファイブ・スポットはかなり洒落た中華料理のお店になっていました。

“トニホー”と読みますよ・・・と気さくで日本語のたどたどしい店員さんが言っていましたが、果たしてそうなのかは謎です。
その時食べた炒飯が凄く美味しくて“トニホー”には数回足を運びました。


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コメント

懐かしい自由が丘

ほとんど乗り換え駅だった、自由が丘ですが、
大岡山に住んでいた友人につきあって、
何度か喫茶店に行ったり、ぶらつきました。

アルコールランプと、フラスコでコーヒーを出してくれ、
丸ごとアップルパイがおいしかった、Dog&Catによく行きました。

ファイブスポットは、入ったことはないのですが、いつごろまであったんでしょうね。
87年のぴあマップには、もう載っていません。

ギターマジシャンさん。

コメントありがとうございます。

確かに乗換えでも混雑してる駅で、東横線から乗り継ぐと、昔の路線名の田園都市線の方向が分かりにくい駅だったと思います。

ファイブスポットですが、80年終わりか81年の早い時期には確実にありませんでした。

自由が丘は70年代頃の雰囲気が好きなんですが、様変わりしてしまいました・・・。

ファイブスポットなき後の中華料理屋は

楼蘭という名前でした。
その前はディスコもやってましたけど、やはりファイブスポットというジャズ喫茶がいちばん似合う箱でしたよね・・・
24が丸井の通りにあったとは知りませんが、70年代初頭には、焼き鳥のかとり屋とか鳥平のある通りでサウナをやってたのが24です。
ひょっとしたらその向かいのゲームセンターのところだったかもしれませんが・・・
長崎屋もあったし、映画館も喫茶店のマイアミもありましたが、皆なくなってしまいましたね・・・
三軒茶にのフライパンという洋食屋の支店が自由が丘のマクドナルド手前にあったんですがかなり昔なくなり、今では雑貨屋だかになってるし、自由が丘は昔の面影がまったくありませんね・・・

dejavuewordsさん。

コメントありがとうございます。

24は間違いなく丸井の並びにあったんですが、ファイブスポットのあと・・・と記憶に残したので記憶違いかも知れないですね。もしかたら隣のビルか同じビルでも階が違っていたかだと思います。
駅から丸井に向かって、緩い下り坂の途中でした。長崎屋の向かい側近辺でした。

ディスコになっていた事は友人から聞いていましたが、残念ながら行きませんでした。
自由が丘はいつの間にか若者からセレブな主婦層の街に様変わりした辺りから(個人的な感想ですが・・)あまり行く機会が減りました。
アレだけの街なのに、昔から楽器関連のお店が無いのも不思議です。

昔の街の話って懐かしくもあり、楽しいものです。
わざわざコメント頂いて感謝します。
こんなブログですが、また読んで見て頂いてコメントでも頂ければ・・・と思います。



やはり70年代は、いいね。

田舎出の、青年達が最初に唯一都会を味わえるそんな店でした。
専属の確か、ハウスカルテットって云うバンドが、その頃の新人ミュージッシャンとジャムセクションを良くしていました。オーナーはジャズ評論家のいそのてるお氏で、其の頃のジャズ雑誌のスウィングジャーナル紙何かに、コラムを書いていたね。
おかじゅうのファイブスポットは、セピア色の、おじさん達の
青春だね。

GANTIann さん。

コメントありがとうございます。

いそのてるお氏は何度かお見かけした覚えがありました。
確かに青春の日々みたいな感覚はありますね。時代背景が今の
時代より良かった・・・と思えます。


60年代後半~70年代も良かったですよ。

トニホ、5スポと大変懐かしい話題でつい書き込みました。
私は皆さんよりかなり古く60年代後半に良く行っていました。
当時は大学生で授業をさぼっては5スポにナンパに行ったり、昼間からタンポポで飲んだりしていました。
トニホは当時少なかったおしゃれなイタリアンレストランでチーズがたっぷり乗ったピザが秀逸でした。
場所は正確には覚えていませんがマルイの近くではなく駅から近い路地の様な場所で確か平屋か2階建程度の低層のものでした。
自由が丘ではありませんが深沢高校に近い246にあったロシュやラブラドール多摩美の傍のタマリバ―など青春時代に良く行ったお店が全て無くなってしまったのは非常に残念です。

Re: ふみちゃんさん。

> コメントありがとうございます。
> コメントの返しが遅れましてすみません。
>
> 私の知っていた“トニホ”は中華ダイニングでした。
> 多分違ったお店だと思いますが、同じ系列のお店の可能性がありますし
> 不思議な話ではないでしょうね。
>
> 私は当時、自由が丘駅と緑が丘駅のちょうど中間地点に住んでいました。
> パンケーキの“花きゃべつ”なんかが人気でした。
>
> 当時、私がよく利用していたお店は、昼は目黒通り沿いのティンバーでした。
> 等々力方面ですがサンドイッチを食べに行っていたと思います。
> コーヒーのお替わり自由だったのが、当時は珍しかったですし。
> 何年か前に前を通ったら、お蕎麦屋さんになっていて残念でした。
> 駐車場のレイアウトは当時のままでした。
>
> 夜は深夜までやっていた自由が丘のバター・フィールドです。
> かなりの回数通っていました。
> お店に入るのも夜11時を過ぎてからしか行った事がなかったと思います。
> 他のお客さんが少なくなってから帰るタイプでした。
> 店員さんに顔を覚えられていて、自由が丘や渋谷で
> バッタリお会いして声を掛けられた位です。
> もう無くなってしまっているんでしょうか?
> あの近辺は35を過ぎてからは殆ど行っていないので。
>
> 懐かしいコメントをありがとうございます。

ピアニスト探しています

昭和四三年前後にファイブスポットでピアノを弾いていた横浜からの男子高校生をご存じありませんか。目のくりっとした少し浅黒い感じの男の子のきおくがあります。オーナーのイソノさんが将来有望なピアニストになるとほめていた記憶がありますが、ご存じありませんか。私は当時毎日のようにファイブスポットに通っていましたのですがいまとってもきになっています。

にんじんさん。

せっかくコメント頂いたのに、遅くなって申し訳ありません。
年末・年始を利用してPCの入れ替えをしていていました。

早速ですが、昭和43年ですと私はまだ小学3年生か、2年生でしたのでファイブスポットはおろか、
毎日野球ばかりしていました。(笑)
私がファイブスポットに最初に出入りしたのは、それから10年後くらいです。
せっかくのコメントにお役に立てずスミマセン。

おそらく当時のファイブスポットは盛り上がっていたんでしょうね。


自由が丘5スポット

初めまして。 とても美しいブログでいらっしゃいますね。
自由が丘の5スポットは,経営者のいソノてルオ氏でお調べになると,いろいろ分かると思います。
ウェブ茶房Utaro 『いソノてルオ先生の思い出』
http://www.saboutaro.com/cn19/pg366.html  などが参考になるかもしれません。
中華料理のお店はジャズ・クラブ5スポットだったのは間違いございません。その頃からかわらずあるのは不二屋書店のはずです。ペコちゃんの不二家は,だいぶ昔にはありました。お店が違っても自由が丘デパートは,祖父母のころから同じ場所です。 音楽と少し離れたことばかりで,ごめんなさい。
なお,よろしければ拙ブログ『銅のはしご』「JAZZ ライヴは,いかがですか?」を覗いて頂ければと,申し上げます。http://4472752.at.webry.info/201301/article_32.html

植杉レイナさん。

コメント頂きましてありがとうございます。

不二屋書店がまだあるのには、納得出来ますね。
ろまんシューズなんかは、まだあるのでしょうか…。風月堂と亀屋万年堂は不動ですよね(笑)。

70年代半ばの自由が丘の雰囲気は本当に良かったと思えます。今、あんな感じの街は流行らないんでしょうかね。
これから、ブログのほう読ませて頂きます。

コメントありがとうございます。

こちらこそ,有難うございます。

昨日はさっそくコメントまで頂き,恐縮しております。バディー・リッチのスティック捌きは,コールドプレイのオフィシャル・サイトで初めて見ました。ほんとうに驚きました。街のことは,親世代からでは半世紀以上暮らすと,けっきょくあのお魚屋さんがなくなったとか昔はスーパー長崎屋があったとかマルイがあったとか,役に立つようなことは何一つ覚えていないものです。映画館も沢山あったようですが,そこは今は“歓楽街”みたいですし,本屋さんのABCが引っ越したり,なくなったり。音楽は時空を超えて伝えられるといいなと思っております。

Re: こちらこそ,有難うございます。

こちらこそありがとうございます。
記事を更新していないので、何とも申し訳ない感じです。

また寄らせて頂きます。 では。
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