GuitarRoom&MusicWorld
ギターと音楽のお気楽日記
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渋谷のヤマハと335
私が育ったのは三軒茶屋。今では地下鉄で渋谷まで2駅(地下鉄が出来る前はバスで行きました)。
中学生の頃渋谷にはよく行きました。行く目的はただひとつ!楽器屋さん廻り。
一番良く通ったのは渋谷のヤマハでした。
道玄坂を登って左手のインテリアの井門を越えたところにある楽器屋さんでした。
中学生には高嶺の花のフェンダーやギブソンがショーケースの中に鎮座していて、外から眺めては「いつかは欲しいな〜」なんて呟いていました。
ヤマハに行くもうひとつの目的は、日曜日なんかに1階のちょっとしたスペースでライブがあったんですよ。私が鮮明に記憶しているのは、柳ジョージが超ロングヘアーにロンドンブーツでグレコのフライングVでガンガンロックしていたのを目の当たりにした事です。
その時のキーボードは、なんと当時拓郎のバックなんかやっていた“柳田ヒロ”でした。
その他では、後のサディスティック・ミカ・バンドのキーボードの今井裕さんのセッションやらやってました。
中学生にはとてつもない演奏だったと感動したのを覚えています。
当時出始めのクロスオーバー系のバンドなんかも出ていました。
クルセイダースをやっていたバンドが非常に印象的で、何故かというとギターがサウスポーの方でした。
プロになって驚いたのは、そのサウスポーのギタリストと白井貴子のバンドのオーディションで一緒だった事でした。名前は南さん。
何気なく隣同士だったので、結構話込んで(オーデション中て意外と待ち時間が長いんですよ)、彼と(年は全然上でしたが)「えっー、あの時の人ですか〜〜?」みたいな話しで盛り上がったのを覚えています。
オーディションに受かったのは、結局彼の方でした。
なんたって彼は、我々の世界でいう“湘南グループ”と呼ばれる中の一員でした。
湘南グループで有名なところでは、亡くなったベースの青木さんや昔川崎僚と一緒にやっていたトニー木庭とかギターの鳥山君(結構仲が良かった人です。彼のデビューライブに招待されたくらいですから)。
話しがそれましたが、てな事で渋谷のヤマハには本当によく通いました。
それでヤマハに通っているうちに、目についたのがまだ流行前の335でした。
色はブラウンでタップスィッチ付のでした。後にラリー・カールトンが五輪真弓のバックで来た時に使っていたのと全く同じタイプでした。
本当は何故335が欲しかったかというと、雑誌でジョニー・ウィンターがドクター・ジョンとセッションしている写真で、なんとジョニー・ウィンターがブラウンの335を使っていたからです。(多分借り物だったはずですが、当時の私にはそんな事考えもつきませんでした)
ですので、レスポールは持っていたのですが335がどうしても欲しくなり、プロデビュー直前に両親に泣いて頼んで手に入れました。
335を買ってからビックリしました。なんと世の中では335が大ブームになって来たんです。
確かにカールトンが使っていたのは前から知っていましたが、335ブームの火付け役はリトナーの影響の方が大きかったと思います。
そんなこんなでブームに先駆けて335を手に入れた私は、プロデビュー直後からこの335にはホントにホントにお世話になりました。
最後の方は使い過ぎて、傷やら色々ありましたがどうしても欲しい、というジャズギタリストの東海林君(今もバリバリでやってます、秋山一将さんの一番のお弟子さんでした)に受け継がれていきました。
ちなみに東海林君も湘南グループではトップクラスのジャズギタリストでした。
彼に出会って私もジャズを勉強しようと、先生についたんですよね。
とりとめの無い話でしたが、私の渋谷ヤマハ体験・・・という事で。
中学生の頃渋谷にはよく行きました。行く目的はただひとつ!楽器屋さん廻り。
一番良く通ったのは渋谷のヤマハでした。
道玄坂を登って左手のインテリアの井門を越えたところにある楽器屋さんでした。
中学生には高嶺の花のフェンダーやギブソンがショーケースの中に鎮座していて、外から眺めては「いつかは欲しいな〜」なんて呟いていました。
ヤマハに行くもうひとつの目的は、日曜日なんかに1階のちょっとしたスペースでライブがあったんですよ。私が鮮明に記憶しているのは、柳ジョージが超ロングヘアーにロンドンブーツでグレコのフライングVでガンガンロックしていたのを目の当たりにした事です。
その時のキーボードは、なんと当時拓郎のバックなんかやっていた“柳田ヒロ”でした。
その他では、後のサディスティック・ミカ・バンドのキーボードの今井裕さんのセッションやらやってました。
中学生にはとてつもない演奏だったと感動したのを覚えています。
当時出始めのクロスオーバー系のバンドなんかも出ていました。
クルセイダースをやっていたバンドが非常に印象的で、何故かというとギターがサウスポーの方でした。
プロになって驚いたのは、そのサウスポーのギタリストと白井貴子のバンドのオーディションで一緒だった事でした。名前は南さん。
何気なく隣同士だったので、結構話込んで(オーデション中て意外と待ち時間が長いんですよ)、彼と(年は全然上でしたが)「えっー、あの時の人ですか〜〜?」みたいな話しで盛り上がったのを覚えています。
オーディションに受かったのは、結局彼の方でした。
なんたって彼は、我々の世界でいう“湘南グループ”と呼ばれる中の一員でした。
湘南グループで有名なところでは、亡くなったベースの青木さんや昔川崎僚と一緒にやっていたトニー木庭とかギターの鳥山君(結構仲が良かった人です。彼のデビューライブに招待されたくらいですから)。
話しがそれましたが、てな事で渋谷のヤマハには本当によく通いました。
それでヤマハに通っているうちに、目についたのがまだ流行前の335でした。
色はブラウンでタップスィッチ付のでした。後にラリー・カールトンが五輪真弓のバックで来た時に使っていたのと全く同じタイプでした。
本当は何故335が欲しかったかというと、雑誌でジョニー・ウィンターがドクター・ジョンとセッションしている写真で、なんとジョニー・ウィンターがブラウンの335を使っていたからです。(多分借り物だったはずですが、当時の私にはそんな事考えもつきませんでした)
ですので、レスポールは持っていたのですが335がどうしても欲しくなり、プロデビュー直前に両親に泣いて頼んで手に入れました。
335を買ってからビックリしました。なんと世の中では335が大ブームになって来たんです。
確かにカールトンが使っていたのは前から知っていましたが、335ブームの火付け役はリトナーの影響の方が大きかったと思います。
そんなこんなでブームに先駆けて335を手に入れた私は、プロデビュー直後からこの335にはホントにホントにお世話になりました。
最後の方は使い過ぎて、傷やら色々ありましたがどうしても欲しい、というジャズギタリストの東海林君(今もバリバリでやってます、秋山一将さんの一番のお弟子さんでした)に受け継がれていきました。
ちなみに東海林君も湘南グループではトップクラスのジャズギタリストでした。
彼に出会って私もジャズを勉強しようと、先生についたんですよね。
とりとめの無い話でしたが、私の渋谷ヤマハ体験・・・という事で。
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