アコースティックギターの話し。

アコースティックギター・・・フォークギターやクラシックギターの事です。
私たちは、フォークギターを“アコギ”クラシックギターを“ガット”と呼んでいました。

初めて買ったアコギは前の日記にも書いた小学生の時に買ったモーリスの安物のフォークギターで、中学生になって定価5万円だったと思いますが、チャキのJ-45のコピーモデルを買ったんですよ。
これは本当に良く出来たギターでした。
高校生の頃まで手元にあって、エレキとは別に良く練習で使っていました。
EL&Pの“展覧会の絵”のA面のグレック・レイクのギターソロなんか一生懸命コピーしたりしてました。

チャキってウッドベースで有名なメーカーでギターの作りも中々のもんでした。
今でもチャキのギターが欲しいくらいです。

仕事をする様になって直ぐに必要になったのがアコギでした。
持っていたチャキではとても仕事には使えなかったので、直ぐに仕事に耐えられるギターを探す事になりました。
当時の流行は勿論“オベーション”でした。私も当然オベーションを手に入れる事になった訳です。19歳の時でした。

オベーションってネックの感じがエレキと殆ど変わらなくて、やたらと弾き易いアコギでした。
ただボディーのバックが薄いタイプと厚いタイプがあったんですが、私は薄いタイプを選びました。
マイク内臓のモデルを最初に買ったんですが、結局アコギが2本必要になってマイク無しのモデルも買う事になってしまいました。

基本的に歌伴では1コーラスアコギだけの曲って結構多くて、アルペジオなんかもかなり練習しました。私は本格的なアコギのギタリストでは無いので、ピックでアルペジオをやる方でした。(3フィンガーだけは別でしたが)

オベーションのいい所は弦高の調整がブリッジの所で出来るので凄く重宝しました。
マイク内臓ではないオベーションにはバーカスベイリーのピックアップを付けて、プリアンプに通していました。結局マイク内臓のタイプよりいい音がしたのでマイク内蔵型オベーションは数年して手放す事になりました。

それでもやはりアコギが2本必要になってしまいもう1本を探していたところ、当時(83年頃)グレコからGOと言うエレキが発売になってモニターしませんか・・・と言う話が来て1本頂いたんですが、その時に担当の方と話しをしていたらイバニーズからアコギが新しく出るとの事で早速1本用意してもらう事になりました。
発売前でしたので、無理言って1本用意してもらいました・・・と言っても神田商会の倉庫に連れて行かれて(山手線のガード下にあるもの凄い倉庫でした)山積みになっている倉庫の中から好きなのを選んで下さいと言われ、手当たり次第に弾いて気に入った1本を選びました。
こちらの方はモニター出来なかったので、本当の卸値で買わせてもらいました。
定価で10万円以上のアコギだったと思いますが、超格安で手に入れる事が出来ました。

イバニーズもバーカスベイリーからプリアンプで使っていました。中々いい音でした。

アコギとは別にガットも必要な事が極たまにあったんですが、私が持っていたガットギターはよくブランドの分からない安物のガットギターだったので、いつも困っていました。
本格的なガットを買うとなると20万以上はかかってしまいますが、滅多に使う事の無い楽器でしたのでいつも友人や事務所の方に借りていました。
いつも快く貸してくれた友人は今はロスでセッションミュージシャンとして活躍しています。

一度だけある歌手の方がボサノバチックなシングルを出したんですよ。当然バックのギターはガットで、歌中もガットのバッキングがメインの曲でツアーや放送で3ヶ月程必要になってしまい、その時ばかりは困り果ててしまいました。
結局1本買ってしまいました。買ったのは渋谷の昔のESPの近くにある“ギタルラ社”と言うお店で値段もそこそこでさすがに自分でも躊躇した覚えがあります。
さすがにいい音がしました。
結局なんだかんだ必要に駆られると楽器に出費がかさんでしまうんですよ。

ライブでは色々な曲調の演奏を再現しなければならないので、アコギやガットもそこそこ弾けるようには練習したもんです。

現役を辞める時に全ての楽器は処分したんですが、オベーションだけは何故か売れ残ってずっと持っていました。
そのギターもつい最近ある知人に引き取られて行きました。

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アレンビックと私の付き合い。

アレンビック・・・スタンリー・クラークが使っていたベースで有名なメーカーです。
ギタリストで言えば、勿論渡辺香津美さんが使って一世を風靡したギターです。

初期のアレンビックはジャズフージョンの方よりも、グレイトフル・デッドが使っていて有名になったメーカーでした。

私も実は1年チョット所有していたんですよね。渡辺香津美さんの“ロンサムキャット”ってアルバムのギターの音が凄く心地よくて、一度弾いてみたいと思っていました。
当時、80年前後は新品の定価が80万くらいしたと記憶しています。
私が買ったのは、81年頃だったと思います。渡辺香津美さんと全く同じタイプの物でした。
新品同様の中古をほぼ定価の半額で手に入れる事が出来ました。
買ったお店は、これ又登場する渋谷の“パコ”でした。
このタイプでした。ボディーの色もほぼこの色でした。

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最初にビックリしたのは、ハードケースの色でした。普通ハードケースって黒が殆どなんですがアレンビックはフェンダー型の長方形のケースなんですが、色が鮮やかなブルーでちょっと戸惑ってしまいました。(マーチンなんかもブルーのハードケースがありましたよね・・・)

次に驚いたのは、パワーサプライと呼ばれる箱を通さないとまともに音が出なかった事です。
乾電池でもなんとか音は出るんですが、良くて1時間くらいしか持ちませんでした。
そんな訳でギターからシールドを繋がず、キャノンアウトからパワーサプライに繋いでそこから通常のシールドでアンプに繋ぐわけです。
これがとても面倒な感じでした。普通にシールド1本でアンプに繋げれば楽なんですが・・・。

次に驚いたのが、ギターの仕上げの良さ!本当に驚きました。
フレット周りやネックの仕上げや細かいパーツの仕上げなんか、本当に手作りと言う感じで当時持っていたギターと比べると格段の違いでした。

肝心のギターの音の話しをします。
とにかくアクティブピックアップ独特の、どちらかと言うと機械的な音でした。
ギター自体のパワーがメチャメチャあって、ボリューム10にすると感覚的には他のギターの3倍くらいのパワーがありました。
通常のアンプで弾くにはせいぜい5くらいが限界で、10にすると簡単に歪んでしまいます。
トーンもやたらと効きが良くて、ほんのチョットつまみをいじると見事に音が変化してチョット使い難い感じもしました。

ただ、アレンビックでしか出せないクリーントーンは絶品でした。他のギターでは中々出ないユニークな音でした。好き嫌いがかなり分かれる音だった事は間違いありません。
意外と使いこなすのは大変ですが、ピンポイントで音を狙っていけばかなりいい音がしたんですよ。
スケール的にも、ギブソンよりちょっと短いスケールでやたらと弾き易かったギターである事は間違いありません。

残念な事に、仕事で使う事は無かったんですよね。1度だけサブギターとして持って行ったんですが、ケースから出す事はありませんでした。
仕事で使うには少し音に偏りがあり過ぎて、使いこなすまでに至りませんでした。
勿体無い買い物だと思いますが、ギタリストとしては一度は弾いてみたいと思っていたので当時は全くそんな感覚は無くて、とてもいい買い物だと思っていました。

家で弾くととても気持ち良かったギターだったので、自宅では結構弾いていました。
結局1年半後には下取りに出す事になってしまいました。下取り価格はとっても良かったのを覚えています。

今でもたまに見掛けると、もう一度弾いてみたい衝動にかられます。

ミュージシャン時代の生活・リハーサル編

リハーサル・・・と言っても色々なパターンのリハーサルがありました。
リハ無しでライブは当然出来ない訳で、リハーサルって本当に重要な作業でした。

リハってライブよりも緊張する仕事でした。ライブはリハーサルでやった事を再現出来れば成功だったと言えるでしょう。(あくまでも演奏面に関してですが・・・ライブって中々上手く行かないんですよ何故か、何だかんだトラブルがあるんですよね)

リハで使うスタジオってそんなに沢山は無くて、限られた幾つかのスタジオでやっていた記憶があります。
一度だけ最終リハをランスルーを兼ねて都内のレコーディングスタジオで録音しながら演ったのはかなり珍しい方です。

新たにメンバーを集めてバッキングの仕事をする場合、最初のリハでは初対面のミュージシャンなんかもいてコミュニケーションをとるのに意外と大変でした。
ただ、回を重ねれば問題のある事では無かったです。

私達が使っていたスタジオって、アマチュアの方が使っていたスタジオと決定的に違うのは、広さと音響面でした。鏡張りのスタジオが殆どでした。

リハーサルの時ってかなりの音量で演奏するので、狭い部屋だと大変な事になってしまいます。
機材もある程度の機材が揃っていたので、アンプを持ち込まなくても対応出来る状態でした。
殆どのスタジオが喫茶室を備えていたので、休憩の時の飲食には不自由しませんでした。来るミュージシャンも殆どが車で来るので、スタジオのスタッフにキーを預ければ対応してもらっていました。

初回のリハはほぼ関係者全員が集まるのが通常でした。
関係者それぞれが自己紹介したり、緊迫感のある雰囲気でした。
勿論、バンドだけ先に1~2回音出しだけのリハをやる事もありました。

アレンジャーが付いている場合は間違いなくアレンジャーさんもリハに立ち会っていました。
プレーヤーがアレンジャーを兼ねている場合もかなりありました。
ライブって決してレコードの通り演奏する訳ではなくて、レコードではフェイドアウトしている曲にエンディングを付けたり、イントロや間奏を変えたり、色々な所をいじって行く訳で特にバンドの編成によって変えたりする事が多々ありました。

そんな時はアレンジャー主導で意見を出したり、当然歌手の方もこうして欲しい・・・と言う要望もあったりミュージシャン側からも結構意見を言ったもんです。
特にギターソロが絡む場面なんかは私もこうした方が弾きやすい・・・と言った事も何度かあります。(ギターソロの前に色々な仕掛けを作ってハイ!ソロです・・・みたいにする事って結構あったんですよ)

特にオープニングの長さなんかは歌手の方の登場の仕方に影響するので、結構細かい所まで作り込んだり照明の切り替えのタイミングや色々な事が絡んで来るので、アレンジに関しては事前に貰っていた譜面が役に立たなくなってしまうような事もあります。

何にしてもライブでいい演奏をする為には、リハの段階でキッチリ音を作って置かないといけないので大変でした。(ただ音を作って行く作業は楽しかったんですよ)

ある時メローな感じの16ビートの曲で、間奏はエレピだったんですがクリーントーンでギターのオブリを入れたら歌手の方が「ギターで間奏をお願い出来します・・・」と言われた様な事もあるくらい現場で色々と変化して行くんですよね。

特にギターとキーボードはコードがぶつかる事が無いようにトップを合わせたり、ベースとドラムで仕掛けを作ったりとかなり細かい部分まで突っ込んで音を作っていました。現場で格好いいと思う事はどんどんやっていました。

当時の流行では、オープニングに派手目のインストを持って来る事が多く、そんな時はギターが当然のようにディストーションをバリバリで弾くのが流行りみたいなもんでしたので、結構頑張って弾きました。

リハの時に細かく打ち合わせするのはPAの関係者とでした。ソロとバッキングの音量差やディストーションを掛けた時の音量差やアコギの拾い方などでした。
レコーディングは基本的にソロでもバッキングでも音量差をつけないのが当時の通常でしたが、やはりライブだとソロはソロでボリュームを上げないとメリハリが全く付かなくなってしまいますからね。
アコギは基本的にTCのプリアンプからラインで録ってもらっていました。一番拾い易かった方法だったと思います。

リハは基本的に午後スタートが通常でしたが、ミュージシャンって結構ルーズなタイプが多くて遅刻する人って結構日常的でした。
1時スタートのリハでも音が出るのは2時・・・なんてのは当たり前の感じでした。

リハーサルは短い時でも4時間くらい。最終リハの長丁場でも8~10時間くらいだったと思います。もちろんそれ以上だってありました。
リハーサルは集中力が必要なので、かなりの重労働でした。

ゲネプロなんてのも何度か経験しましたが、ホールできっちりライブと同じ事をやるのであまりリハーサルっていう感じはしませんでした。一度だけファンクラブの方を招待してのゲネプロなんてのもあって、余計そう感じたんでしょうね。

リハが終わってからのミュージシャン同士での食事は楽しかった想い出しかありません。

もう一度そういうリハを体験してみたいと思うくらいいい想い出です。

ミュージシャン時代の生活・ライブ編

昔を懐かしんでばかりもいられくらい年をとってしまいましたが、80年代に私がメインでやっていたライブの仕事の状況を思い出しながら書く事にします。

ライブも色々な形があると思いますが、基本的には90%以上はホールでのライブでした。

職業柄ほぼ日本全国行った事の無い都道府県はありません。
どの地方にも有名なホールが存在する訳で、どこも当時は似通った作りでした。大きな地方都市(札幌・大阪・名古屋・博多etc)は数限りなく行った記憶があります。

個人的に一番好きなホールは、あくまでも独断と偏見ですが“京都会館”です。
理由は色々あるんですが、敷地内にある離れのような喫茶店の雰囲気が大好きで、本番前のどんなに時間が無い時でもお茶をしに行っていました。今でもあると嬉しいんですが・・・。

ライブの当日の事を何となく書く事にします。
余程の遠方や交通の便の悪い所以外は、当日の朝出発すれば本番に間に合うのでほぼ始発便の利用になります。
北海道・沖縄でも当日出発は当たり前の状況でした。

基本的に昼過ぎには目的地に到着して、ホールに直行が当たり前の感じでした。
着いてすぐに控え室に行くんですが、まずは一服する間もなくステージに行って楽器のセッティングをチェックしに行きます。
レギュラーで長くやっているライブなんかは、事前にPA屋さんにアンプやラックを預けてセッティングの段階まではやってもらっていました。
セッティングと言っても定位置にアンプなんかが置いてあるだけで、細かい事は自分でやるのが通常でした。慣れたライブでは結構キチンと電源やラックのセッティングまでお世話してくれるPA屋さんもいて感謝しています。
ドラム・キーボード関係も、行けばいい状態までになっていて我々としてはとてもやり易かったです。

セッティングチェックにはそんなに時間は掛けられませんが、リハが出来る状態にするのに30分もあれば充分な感じでした。

もうその時点でだいたい2時~3時近くになっているので、取り急ぎで休憩してリハに望みました。
リハと言ってもPAのバランスと照明の感じをチェックするのがメインなので、リハでやる曲って大体決まった曲でやっていました。
問題が無ければ小一時間もあればリハは終わりで本番まで少し休める感じです。(状況にもよりますが、1時間から長くて1時間半くらいでした)

問題があると開場ギリギリまでリハをする事もしばしばありました。
一番のトラブルは、レンタルしたキーボードが全くダメで直ぐに手配して近隣の楽器屋さんから至急で用意してもらった時は本当に困った覚えがあります。

本番前の時間の過ごし方は、各自それぞれ色々な過ごし方があります。

まず女性陣(コーラスやキーボードの方が殆どでした)はお色直しと衣装替えに忙しくしていた記憶があります。
男性陣も着替えは結構やっていました。ステージによってはメンバーは黒っぽい服装・・・なんて指定があった時もありました。80年代黒系の服が流行ったりしていましたからね。
稀ですが、出来たらスーツでなんて時もあったんですがギターが弾き難くてたまりませんでした。

後は軽く食事なんですが、大体は控え室に用意されているサンドイッチ類やお弁当で済ませていました。当然外に出る時間は 100% 無かったんですが、京都会館の時だけは喫茶店にお邪魔していました。

リハ前の段階で張替えられる弦は全て張り替えているので、あまり楽器を触っている事は無かったです。
指慣らし程度しかギターには触らなかったです。勿論チューニングもするんですが、控え室とステージではチューニングが変わってしまうので、アコギやフロイトローズの付いていないギターはステージに置きっぱなしが多かったです。

ステージ前って若い時から意外と度胸が良かったのか、緊張する事ってあまり無かったです。
ライブ前のリハの段階で相当弾き込んでいるので、本当に緊張って無かったですね。

最近のバンドのライブの映像や、海外のミュージシャンのライブの映像なんかを見ると、ステージに上がる直前にミュージシャン皆が集まって高校野球のように円陣を組んで掛け声を掛けるのをよく見かけますよね。
私がライブを始めた頃ってそういう事をやっている人っていなかったと思います。
私もそういう行動をするようになったライブって、85~86年くらいだったと思います。当時は何だか皆で頑張ろう・・・みたいな軽いノリでやっていたんですが、やっている本人はチョット違和感を覚えていました。
今の時代は何だかそれが当たり前のような感じらしいです。確かに気合は入るんでしょうけど・・・。

そんなこんなは別として、やはりステージは気合が入っているのか終わるともの凄く疲れました。
盛り上がったり、個人的に凄くテンションが上がったライブの後って少しばかり放心状態に近い感じでした。
逆にお仕事のノリみたいなライブもあったにはあったんですが、弾き始めるとどんなステージも同じ気持ちで弾いていました。

ライブが終わって飲み物を飲んで一服してから、ようやくステージの片付けにミュージシャンが行くんですが、ステージ上はすでに戦場と化していてPA・照明スタッフ入り乱れてのもの凄い状況になっています。あちこちで大声や人が入り乱れていて、ついさっきまでのステージの雰囲気は全くありません。
そんな中で我々も取り急ぎで楽器の撤収にてんやわんやでした。

そこで会場とはお別れして、当日に帰れる場合は速攻で駅や空港に向かうんですがあまりそういう時間にライブが終わる事は稀なので、一旦ホテルに向かいます。

基本的にホテルにチェックインしてゆっくりしている時間はあまり無かったと思います。
部屋に着いて荷物だけ置いてすぐにロビーに集合・・・ってのが多かったです。
当然打ち上げの為の集合です。打ち上げの始まる時間って世間的には決して褒められた時間に始まっていなかったと思います。ライブ後ですから仕方無いですよね。

地方に行くと大体その地方のプロモーターと言うか、我々は“呼び屋さん”と呼んでいましたがイベント会社みたいなのが絡んでいるので、その会社主催の打ち上げが殆どでした。

打ち上げはモチロン盛り上がるのは当たり前の世界でした。私はあまりお酒が強い方では無かったので、食べる方専門でした。

当日の始発に近い交通機関で地方に行って、リハをやりライブを1本こなして更に打ち上げ・・・若い時の体力だから出来たんでしょうがとても楽しかったです。

ミュージシャン同士打ち上げ後にホテルの部屋で皆で集まって、明け方近くまで音楽についての話で盛り上がったりした事は私の大切な想い出です。


改造の話し。

最近買ったギター雑誌の広告を見ていて“ディマジオ”のPAFが36周年記念・・・と言う事で、感慨深い思いがして、私が過去に経験したギターの改造について少し書く事にします。

70年代半ばから、ディマジオ、シェクター、マイナーな所でマイティーマイトを始め色々なメーカーからピックアップなどやパーツ類が続々と発売になり、私も色々と手を出したくちです。

仕事で335を使うようになり、それなりにいい音はしていたと思うんですがピックアップを交換したり、ナットを交換したり、当然ペグも交換したりと色々と手を加えました。
335で一番の改造点は、やはり誰でもがやるブランコテールピースからストップテールピースへの交換でした。
これは渋谷の“パコ”でお任せして改造しました。今では当たり前のストップテールピースですが、78年当時はストップテールピース仕様の335は売っていませんでした。

カールトンっぽくブリッジから少し距離を取ろうとしましたが、お店の方の意見で通常の改造にしました。
その時にピックアップをディマジオのパフに交換したんです。ナットもリトナーやカールトンがやっていた様に、ブラスナットに交換しました。
私の335はコイルタップ出来るタイプでしたが、ディマジオのパフはタップが効かないとの事でタップスイッチを外して穴を埋めてもらいました。

改造から帰ってきた335は、音もルックスも見違えるようでした。
そこから私の改造熱が高まって、その後のギターも数々改造して行きました。

その時所有していた高校の入学祝に買ったレスポールも、ディマジオのパフに交換しました。
サンバーストのレスポールに白のピックアップは、やはりいい感じでした。

ディマジオのパフはタップが効かなかった・・・と書きましたが、次に買ったB・Cリッチのフロントはパフが付いていましたが、タップの効くタイプでした。意外と重宝したピックアップでした。

思い当たるままに使っていたギターとピックアップを書くと、フェンダーのストラトは正直買って1ヶ月くらいでピックアップをディマジオに交換しました。
当時のフェンダーは作りがイマイチで、ピックアップはあまりいい音がしなかったですね。
そのストラトも次はHi-Aのピックアップに交換してしまいました。

B・Cリッチも実は結構いじくってしまい、雑多なスイッチが沢山付いていて一番使いにくかったバリトーンスイッチはバイパスしてもらって、ダミーとしてスイッチだけが残っていました。
ペグがどうしても回し難いグローバーが付いていたので、こちらもスタンダードなグローバーペグに交換しました。
ペグを交換する際に、パーツ類を全てゴールドにしてしまいました。今思えば品の無い改造だったかもしれません。

実はシェクターの改造テレキャスターもピックアップは交換しました。リアマイクはダンカンのインベーダーと言う凄い名前のピックアップで、フロントにダンカンのビンテージタイプのピックアップにしました。どちらも当然タップ出来るタイプでした。
インベーダーってリアで歪ませると、とてつもなくパワーがあっていい感じでした。
それとタップさせた時に、音痩せが無いので低音のカッティングにはもってこい・・の音でした。

実はムーンのコンポーネントのストラトも使っていたんですが(半年くらい)、こちらのピックアップはアレンビックのスリーシングルに交換して使っていました。
殆どの改造は全て渋谷の“パコ”や原宿の“松下工房”で、後半は殆ど友人の工房でお願いしていました。

一度も経験が無いのがフレット交換です。
持っているギターの数が多かったのと、入れ替わりが激しかったのでフレット交換に至るまでに辿り着かなかった感じです。
逆に、ネックごと交換してしまったり新たにギターごと作ってもらったりしたのでフレット交換には縁が無かったですね。

80年前後って、そういう改造を皆が少しずつしていた時期ですよね。
そういう流行のきっかけって私が思う限りですが、ベックの初来日の時のストラトじゃないですかね?
フェンダーにシェクターのピックアップにスイッチが3個で凄く格好良かったですよね。

私の改造って、良かったのか悪かったのかは今となっては分かりませんが当時は少しでもいじると音が良くなった感じがしたものです。
後半に手にしたギターって、全部が気に入らないと買わない状態だったので殆ど改造らしい改造はしていませんでした。

時代の流れの中でいい経験が出来たと今は思います。