オーディションの話し。

オーディション・・・どんなジャンルにもオーディションって付き物ですよね。

私がプロになった当時って歌謡曲系の業界では、俗なバンド用語で“ステト”と呼ばれていました。
早い話がテストの逆読みみたいな感じでしたね。

私が初めて仕事を貰ったギタリストの先輩からも、「1回ステトやるから気楽にリハにおいでよ」と言われて、高校を早退して都内のあるスタジオ(ツズキ・スタジオでした、学校から歩ける所だったのもラッキーでした)にギター1本持って“ステト”とやらに出向いた事が昨日の事のようです。
先輩ギタリストは私がある学校(私の学校とは違う高校でした)の学際で弾いていた時、その学校の卒業生で、何故か学際で弾いている私を見て知り合った人でした。

多忙な人だったので、自分のスケジュールの合わない時に私に声を掛けてくれたんですよ。
しかし、今思えば高校3年生に声を掛ける方も大したもんだと思います。
その時は前もって先輩から「ギター1本だけで来ればいいから、アンプとかは全部自分の使っていいよ」と言われて、気合だけを入れて行きました。

リハーサルで3~5曲程弾いたと思います。極端に難しい曲が無かったのが幸いでした。
が、しかし・・・初めてプロのミュージシャンと一緒に演奏するプレッシャーって高校生の私にとってもの凄い緊張でした。

先輩からは、自信持って弾きなさい、音はなるべく大きく・・・と言われていたのでその通りにやりました。
リハ後に先輩ギタリストがニコニコ私に話し掛けてくれました。「次のリハは1人で任せるから、全曲練習しておいで」と言われ、天にも昇る気持ちがしました。

一番業界っぽい体験って、すぐにマネージャーさんが来て連絡先とスケジュールの確認(モチロン全部真っ白でした)とギャラの交渉に来てくれました。不思議な事に年齢の事は一言も聞かれませんでした。
そこからスタートして暫くはクチコミとか紹介で色々仕事が繋がって行くようになりました。

歌謡曲系からニューミュージック系の仕事に移る時も、最初は友人の紹介でした。(周りの人に恵まれていた人生だったと今は思います)

紹介で行ったバッキングの仕事って、実は最初のリハは私のオーディションを兼ねていたらしいです。後日バンドメンバーから聞きました・・・。

その後、ニューミュージック業界も大御所と言われるミュージシャン(プレーヤー側)以外は、基本的にオーディションでメンバーを集めるスタイルが多くなって来ました。

基本的にオーディションの情報って、一般には絶対に公開しません。この情報って私の場合、友人や事務所の方や、お世話になっていたインペク屋さんから得ていました。

知り合い関係だけでメンバーを集めてバンドを組むと、どうしても演奏レベルの面で問題が起きたりしがちでした。

オーディションでメンバーを集める利点は、それぞれのパートでレベルの高いミュージシャンを集められる事と、専任でそのバンドに入る事が条件になるので、他のスケジュールとブッキングがだぶっても、オーディションで入ったバンドを優先するのが暗黙の了解になっていたんですよ。

私も数10回程オーディションを受けた経験があります。殆どは個人で受けたんですが、一度気の合った仲の良いメンバーでバンドごとオーディションを受けた事があります。

バンドごと受けたオーディション、見事に受かったんですが事務所からのクレームでベースをこちらで用意するので差し替えて欲しい・・・との事でした。
みんなで悩みましたが、破格のギャラだったので差し替えを受け入れてしまいました。
差し替えで来たベーシストは私が過去に演奏したベーシストでは3本の指に入る凄腕でした。(今でも現役で活躍しています)

オーディションの現場って、オーディションの数だけ色々なパターンがあります。

ギタリストだけを探すオーディション、複数のパートを探すオーディションなど本当に様々です。

私が印象に残っているオーディションについて少し書きます。
一番印象に残っている・・・と言うか嫌だったのは、ギタリストとキーボードを決めるオーディションで、ボーカルの方はニューミュージック系では当時そこそこ有名な女性歌手でした。

ギタリストが記憶では、20数名来ていました。課題曲が2曲あって、譜面と音源を事前に貰っていました。
当然スタジオでやる訳で、アンプが2台用意されていました。私は自分のラックを持ち込んでギターはストラトで行ったんですよ。
ディレクターから全員演奏後に「今から名前をお呼びする方以外は今日はお疲れ様でした」との事。シビアと言えばシビアな世界ですよね。
ギタリスト2名が名前を呼ばれた中に私の名前が入っていました。

残った2人で何をさせられたかと言うと、「演奏は結構ですので、曲に合わせてギターを持って振りを付けて下さい」とのお言葉でした。
もう一人のギタリストと顔を見合わせてしまいました。
考えてみれば、女性アーティストのバックで目立つ所に立っているギタリストが棒立ち・・・ってのも時代背景を考えれば仕方が無いかもしれませんね。

そのオーディションは私が受かりました。
踊りは得意な方では無いですが、ギターを持っていると自然と体が動くのってそれまでのステージの経験が良かったんですかね。

その他のオーディションでも、色々面白い人が沢山来ていました。

基本的には、知り合いがいたり若手の駆け出しクラスのミュージシャン達がいたりで、結構静かなムードで進んで行くんですよ。
20代半ばにもなると、私もオーディション慣れしたのかあまり緊張はしなくなりました。
なんたって自分らしく弾くのが一番ですからね。気に入られようと思って弾くのは、回りからは直ぐに分かってしまいますからね。

まあ、一番凄かった人は関西から来た人らしいですが、年は30才前後だったと思います。
皆が順番待ちしている間も「この間誰それと会ったよ・・・。誰それ知ってる?・・・」なんて話しを大声でしていて皆からひんしゅくを買っていました。
さて、その彼の順番が回って来た時に驚きました。なんと!アシスタント(いわゆる業界で言うボーヤ)を連れて来たんですよ。
私達レベルが受けるオーディションでアシスタントを連れて来たのは後にも先にも彼ひとりです。

ヘビメタががったアシスタント君、一生懸命師匠のセッティングをしてギターまでチューニングを済ませてからその関西ギタリストにギターを手渡したんですよね。

ギターを受け取った師匠曰く「エフェクターのセッティングが違うだろ!」とアシスタント君に大声で言っていました。
周りは完璧にドン引きでした。KYもここまで行くと大したもんです。
さて、彼の演奏が始まって周りはさっきの数倍引きました・・・。

私の率直な感想は、ハッキリ言って高校生レベルの演奏でした。よくプロのオーディションにアシスタント付きで来るな~~~と思いました。
周りも皆そんな目で見ていて、2曲やる予定が1曲でディレクターからストップが掛かりました!

そこで更に彼が「えっ!!もう終わりですか?2曲じゃないんですか?1曲目みたいなの苦手なんですよ。得意なのを少しやらせて下さい!」と半ば食って掛りました。
あきれたディレクター氏が「じゃ、短めでなんかやって下さい」との事。。。
彼、後ろのメンバーに向かってリズムとコードの指示(2コードだったと思います)をして、すぐさまとても考えられないような爆音で延々とアドリブを弾き続けました!
当然ディレクター氏がストップを掛けて、ご退席となりました。
帰り際に彼が担当者の女性に「スケジュールが忙しいので、連絡は何日と何日なら家に居ますので」という事でした・・・基本的にオーディションって合格以外は絶対に連絡は来ません。
合格の場合、99%はオーディション後に本人に結果は直ぐに分かるようになっています。
それを知らなかった彼は電話を待っていたんでしょうね。

そのオーディションも運良く私が合格しました。
当然合格連絡はオーディション会場でした。

大物アーティスト達もやはりパートごとには時々オーディションをやっていたようです。
大物がバックで演奏するミュージシャンを選ぶ訳ですから、当然ミュージシャン側もかなりの実績と名前のある人を使う事が当然になってしまいます。
達郎のように、バンドメンバーのスケジュールが付かなければライブすら予定を変えてしまうアーティストもいるくらいですから。

私が知る範囲での大物アーティストの話を書きます。
サムデイで有名な男性アーティストのバンドのギターが代わる事になって、リハーサルという形でオーデションをやったんですよ。
場所は六本木の“マッド”でした。その時、偶然私はマッドで長丁場の録音の仕事をしていて、隣の大きいスタジオでリハーサルをやっていたんですよ。
オーディションがらみのリハーサルでギターを弾いていたのは、私の知り合いでした。

後日そのギタリストの友人から聞いたことろ、ギタリスト側から音楽性が合わない・・・とキャンセルしたようです。当時はかなり売れっ子のギタリストだったからこそ言える言葉だったんでしょうね。
アーティスト側からもそのような事でお互いが丸く収まったようです。
売れているアーティストと売れているミュージシャンって本当は対等な立場で音楽を作るんですから、音楽性が合う、合わないって大事な事なんでしょうね。
私レベルでは、天と地がひっくり返ってもそんな言葉は言えませんでした。

音楽性とは別に、某超大物ロック歌手○沢○吉のバンドのギタリスト(前に書いたマーシャル3段積みのギタリストです)は、初ツアーのリハーサル3日目でギターのフレーズで揉めて、ケンカ別れしたのは私達の間では有名な話でした。
そのくらい両者が拘りを持って現場で音を出しているんですよね。

オーディションって本当に緊張もするし、出来レースと言うかもう決まっているなんてオーディションも何度か経験しました。

今はオーディションって自分にとっていい経験だったと思います。

今の時代のミュージシャン達は、どのような形でやっているのかは分かりません。
昔の友人に聞くと、殆どがミュージシャンの名前で選ぶ事が多くオーディションなどは減っているようです。
時代の流れですね。

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生涯で最高の特注アンプの話し。

ブギーアンプの話しは前に書きましたが、偶然にもアンプビルダーのS氏と知り合って、自分の持っているブギーよりもはるかにいい音のアンプを自宅で製作されていて驚きました。

S氏のアンプを知ったのは、私の先輩のギタリストがアンプを注文した事から始まります。
S氏は元々グヤトーンでアンプ作りに携わっていた方で、私が知り合った時は既に独立していて自由が丘と奥沢の間に工房を構えていました。

工房を見て驚きました。足の踏み場も無い程の見事に散らかりまくった、いかにも職人の部屋・・・と言う感じでした。

海外でもダンプルを始め、手作りのアンプが出始めていた時期でしたよね。

先輩ギタリストが特注で作ったアンプを、一度弾かせてもらってS氏に特注のアンプを注文する事を即決しました。それくらい出来のいいアンプだったんですよ。
作ってもらったのは86年でした。製作日数は3ヶ月を超えていたと思います。

アンプを作り始めるまでに3回程面談(?)して、私の好みの音とか外観とか重さとか出力とか、とにかく細かい所まで相談して煮詰めて行きました。
制作費は今思い起こせば、100Wのブギーが楽に買える位の値段でした。
値段が高くなってしまった理由は、私の好みの外観とフェンダーのアンプヘッドを持ち込んで大改造してもらった事が大きな原因です。
話し合って、好みの音や使っているギターとの相性とか2人で話し合っているうちに、1から作るよりフェンダーのアンプヘッドを持ち込んで、中身を改造した方が近道だと結論が出たんですよ。

拘った点はたくさんあります。

まず、外観。。。
当時のブギーの木目の外観が気に入っていたので、家具調の木目で仕上げてもらいました。ブギーの場合、木目でも茶色系の塗装がしてありますが、私は北欧家具調の白木で仕上げてもらいました。(実際に家具メーカーにオーダーを出したようです)
サランネットはダークブラウンで取り外しが自由に出来るようにしてもらいました。
白木にダークのネットはかなりいい雰囲気でした。

次に拘ったのは、アンプのサイズ。。。
12インチ2発だとサイズ的に私の移動に支障をきたすのと、音的には低音が出過ぎるので10インチ2発で極力横幅を小さくしてもらいました。
前に使っていたミュージックマンの210より横幅は狭かったです。
スピーカーはそのせいで、多少上下にズレる感じでセッティングしてもらいました。

次に拘ったのはスピーカー。。。
当初はアルティックで予定していたのですが、アンプを組む直前にJBLに変更しました。
これに関してはS氏が絶対の自信でJBLを薦めてくれたからです。結果は正解でした。

持ち込んだフェンダーのヘッドは、私の記憶では黒ボディーの“リード100”か“リード130”のどちらかだったと思います。これは“パコ”で見つけて13万円程で買ったのを覚えています。

何故フェンダーのヘッドだったかと言うと、S氏曰く「アンプの回路の原型は、殆どがフェンダーで出来上がちゃってるんですよ・・・」との事でした。
結局はトランス関係や何やらで面倒な事になるより、フェンダーのヘッドを改造して組み込んでもらう事にしました。

改造出来る所は全てやってもらった感じです。配線やら何やらも(専門的なのでよくわかりません)新しくしてもらい、全てのトーンもノブを引張ると軽くブーストが掛かるようにしてもらいました。
この軽くブーストってのも隠し味程度のブーストで、本当に欲しい音域に張りを持たせる程度にしてもらいました。
ギターからアンプ直・・・の時には本当に使い勝手が良かったです。

一番の改良点は、ミドルのポイントを3段階に変えるスイッチを付けてもらいました。
ここがS氏と2人で一番悩んだ点でした。2段階ではあまり効果が期待出来ないし、どのポイントで切り替えるかが問題点でした。やはり長年の職人の意見に従って3段階で切り替え」ポイントはお任せ・・・でお願いしました。

スプリング・リバーブもフェンダーとは違うリバーブに付け替えてもらいました。このリバーブが本当に品のいいリバーブが掛かって、JBLの張りのある高域と抜群の相性でした。リバーブのバイパススイッチも付けてもらいました、これが意外と重宝したんですよ。

真空管も総取替えしてもらい、当時やたらと値の張った“グルーブチューブ”にしてもらいました。値段が高ければいいってもんじゃ無いけど、やはり良い物はいい値段がしちゃうんですよね・・・。

出来上がる直前にヘッドとスピーカーだけで何度も試奏して、納得の行く段階になってから組み込んでもらいました。S氏には本当に感謝しています。

当然出来上がったアンプは素晴らしい出来でした。
音の立ち上がり、音の粒立ち、音の抜けと、どれをとっても納得の行く音でした。
ギターが上手くなった感じさえしてしまうアンプでした。

その後のメンテも全てS氏に任せていました、その度に我が子のようにアンプに接して頂いて本当に感謝しています。
今もお元気でいてくれていると心から願っています。

当然ブギーは手放す事になりました。
多少ブギーより重くなってしまった事は仕方ないですが、音の方は最近流行のハンドメイドアンプより良かったと思います。

アンプって自分の好みを突き詰めて行くと、キリが無いんだと実感したものです。
クリーントーンひとつをとっても、好みの音って中々難しいんですよね。

そのアンプも私が現役を退いてしまうまでの付き合いでした。
相変わらずライブではJCをレンタルしてしまう事の方が多かったし、自分の持っているJCもやはり多用していたので、特注アンプの元は取れなかったのではないでしょうか?
それでも録音の時などは、本当にいい音で弾いていて気持ちが良かったです。

音楽を辞める時に、この特注アンプを処分する時に友人が3人程手を挙げてくれました。
その事でもアンプの良さが分かってもらえると思います。

335DOTの話し。

プロデビュー前に買ったブラウンの335が、友人のギタリストの元に去って行ってしまった事は前の日記に書きました。

335が手元に無くなってから、335はいつも探していました。

そんな時にギブソンからドットマーカーの335が発売になったんですよね。80年代始めからギブソンもビンテージ風のレスポールやら色々と作り始めていて、ようやく・・・と言うかやっとドットマーカーの335が発売になったんですよ。84年か85年のどちらかだったと記憶しています。もしかしたら、その前にドットマーカーの335が発売されていたかも知れません。私が入手したのは84~5年でした。

335Dot.jpg

楽器店で見つけて、すぐに手に入れた事は言うまでもありません。
最終的に買ったのは、渋谷の石橋楽器でした。他の楽器店でも何本か弾いたんですよね。
石橋にはブラウンサンバーストとレッドが1本ずつ置いてあったんですが、2本ともジックリ弾き比べて、買ったのはレッドの方でした。
勿論、他の楽器店で弾いたのも含め一番しっくり来る音がしました。
本当は色的にはブラウンサンバーストの方が気に入っていたんですが、やはり生音に若干の差がありました。
後は指盤です。レッドの方の指盤の方が随分と目の詰まったローズでした。

335って私の経験では、当り・ハズレの多いギターだと思います。友人のギタリストが何人か335や345を持っていて、何度か弾かせてもらう機会がありましたが千差万別でした。全く良くないのも何本かありました。(その時に弾いた345のネックがやたらと素晴らしかったのが今でも印象深いです・・・)

前に持っていた335と明らかに違っていたのは、ネックのグリップが太めだった事とナット幅が広くて私好みでした。ボディーのアーチも当然ビンテージ335に近い感じでした。
前に持っていた335は、本当にアーチの無いボディーでしたので全然違っていました。
特徴的だったのは、ビンテージ風な作りの割りに最初からグローバーのペグが付いていたのと、ストラップピンが大型のダイヤ型をしていたのがなんともぎこちない感じでした。

新しく手に入れた335は、やはりギブソンらしいジャージーな感じの音でした。
前に持っていた335よりは明らかにいい音がしました。
ただ当時はメインで使うって事は殆ど無く、曲調によってたまにしか出番がありませんでした。
意外とエフェクトのノリが悪くて、ブギー直なんかで使っていたりもしました。

335で代表されるカールトンなんかは、明らかに335の音はしていません。リトナーもそんな感じです。
私が思う335の代表的な音って、現在の若手ジャズギタリストで有名な“小沼ようすけ”さんの音なんかが明らかに335の一番いい音なんじゃないかな?と最近思っています。

当時は他のギタリストも335離れしていた時期だったと思います。
どんなに頑張っても、エフェクターを数種類通すセッティングだと335本来の音よりも悪い音がしてしまいます。
やはり音がこもりがちになってしまいます。プリアンプで調整しても抜ける音にはチョットほど遠い感じでした。
特にボスのオーバードライブとの相性があまり良く無くて(あくまでも当時の私の感想です)歪ませるなら他のギターに任せた方が、全然使える音がしました。

逆にアンプ直にすると、335の一番の良さが出たんですが、1ステージ中に1曲~1曲あるかないかの出番になってしまうので、テレキャスのフロントでなんとかカバー出来ちゃうのでツアーにわざわざ持ち出す事もあまりありませんでした。

エフェクターを多用する時代でしたので、335の出番はあまり無かったと思います。

家でのジャズの練習には随分と活躍してもらいました。仕事で使う時以外は0.10のスタンダードのセットの弦を張っていました。

ただ335は1本持っているといつも安心できる存在でした。
335はやはり今でも好きなギターの1本です。本当にいい335って中々いい値段もするし・・・しかしこれから先いい335に巡り会えたらその時は衝動買いしてしまうかもしれません。

そのくらい335には思い入れがあります。

ミュージシャン時代の生活 その3

音楽とはあまり関係無い話になってしまいそうですが。。。

私は生まれも育ちも東京の世田谷で、中学生の頃からバスに乗っては渋谷に一人で出掛けるような子供でした。妹ばかりが3人の兄妹だったので、基本的に家に居る・・・と言うより外に出るタイプだったと思います。

中学生の頃は出掛けると言っても、殆どが楽器屋さんでした。公園通りにパルコがオープンした時なんかは、今でも良く覚えています。

高校生になると、チョットませていたのか夜の街に出る事が多くなりました。
だいたい出掛けるのって学校から帰って着替えてからでした。
高校生のくせに、よく行った街って赤坂・六本木・青山・渋谷あたりでした。
当時のその辺りって、夜は今と違って人通りも少ないし(街のネオンが暗かったのが印象に残っています)、子供が出入りするようなお店もあまり無かったです。
そんな中でも赤坂の“ビブロス”や“ムゲン”とか六本木あたりでは“ケントス”なんかに良く行ったもんです。

ムゲンやビブロスは明らかに大人のディスコって感じでしたが、たまに外国人の生バンドが出ていたりしていたんですよね。売れない大人の芸能人達も、良く見掛けました。
ムゲンに出ていた“タワー・オブ・パワー”の小編成と思われるバンドを見た事があります。
(私の記憶が確かなら、タワー~のメンバーが何人か居たのは間違いありません)

そういう場所って決して踊りに行く訳じゃなくて、なんとなく大人の世界に興味があったんでしょうね。
老けて見えるタイプだったので、補導される事も無く、朝まで街にいました。
赤坂のダンキンドーナツや青山のエンドレスって喫茶店や渋谷のエルシドなんかは良く利用しました。遅くまでやっているお店って限られていましたからね。

ミュージシャンとして生活をするようになってから暫くは、音楽に没頭する生活で遊びで外に出る事ってだいぶ減りました。

それでも20歳を越してからは、やはり夜型人間だったのか結構色々なお店に行くようになりました。
80年代初頭からテクノやニューウェーブ系の音楽が流行りだし、半ばにはその残党や影響を受けたミュージシャン達も数多く現れて、私の回りも気が付くとそういう系のミュージシャンって結構いました。
それぞれのミュージシャンは、アンダーグラウンドではあったと思いますが、東京の先端の音を作ろうと頑張っていたはずです。
そんな彼らのライブを見に行くのって、凄く楽しかったです。
(ひとつだけたまげたライブは、ある有名なパンクバンド出身のボーカリストのライブで、ステージ上で鶏の首をチョン切った事です)

そんな時代に自分で一番変わったのは、ヘアースタイルとファッションでした。
“ロン毛”と言う言葉すら無い時代に、3年掛けてロングヘアーにしました。一番長い時で胸くらいまでありましたね。
かみさんと知り合った当時は、肩くらいの長さでしたがとても評判が悪かったようです。(他の女性からは評判は良かったんですが・・・)
当時の写真を見ると、いいのか悪いのか恥ずかしいだけです。
(そのせいで人よりも髪が薄くなったと今思っています)

色々なイベントもあちこちであったり、いい時代だったと思います。
ラップの超初期の頃の動きなんてのも、肌で感じる事が出来ました。
私が経験して来た音楽とは随分差があったジャンルだと思いますが、当時は目新しい物はなんでも聴きあさっていた時代でした。

そんな時期に良く行ったお店って、霞町の“レッドシューズ”とか芝浦の“インクスティック”やら神宮前にあった“クラブD”なんかでした。
結構有名どころの人もチラホラ見掛ける事が多かったです。

その後、新世代のロックと言うか“ガンズ”を頂点とするロック系のバンドも現れて、“シンデレラ”や“キングダムカム”や“ザック・ワイルド”見たさにオジー・オズボーンまで見に行きました。
どんなに大きなホールでも、一応業界にいたのでかなりいい席(殆どが最前列)で見る事が出来ました。

仕事としての音楽と、自分が好きな音楽と、時代の流れの音楽との色々な音に浸かっていた時期でした。
そのどれもが私にとっては大切な音楽でした。決して流行っているから好き、とかそういう事では無く自分で納得して聴いていた音楽だった事は間違いありません。

そういう夜のお店とは全然別に、自分で一番好きなお店って決まっていました。
当時はまだオープンカフェ自体があまり無い時期で、季節限定で(夏場だけ)表参道の森英恵ビルの1階のオープンカフェでした。
時間は夕方の5時以降が一番のお気に入りでした。
今でも一番好きな時間って、夏の夕方なんですよね。

裏原宿にあるバンブーも好きなお店でした。

東京以外で良く遊びに行ったのは、やはり湘南でした。夏の時期、夜第3京浜に乗って湘南に向かうのって音楽以外の面の私の青春だったかも知れません。
完璧にこれは、現地の友人も多かったのが理由ですが、葉山の“茶屋”とか茅ヶ崎の“リトル・ジョージ”なんかは本当に良く行きました。一時表参道にも“茶屋”の姉妹店がオープンして、結構通いました。
今ではとても懐かしい思い出です。

音楽とはかけ離れた内容ですが、私にも人と成りがあったんですよね・・・。
その時期の思い出は大切にしたいと、この年になっても思います。

メサブギーの話し。

プロになってづっと使っていたミュージックマンのアンプは、それなりに活躍してもらったんですが、やはり更にいいアンプを常に探していました。

カールトンがづっとブギーを使っていたのを知っていましたし、スタジオの今剛さんもブギーの100Wを使っていたりして、常に気になっていたんですよね。
我々のバッキング業界でも結構ブギーを使う人が増えていて、自然と私もブギーを買う事になった次第です。買ったお店は渋谷の“パコ”でした。
本当は100Wタイプが欲しかったんですが、まず値段が高いのと(40万以上だったと思います)カールトンのセッティングを見ると分かると思いますが、100Wで結構ボリュームを上げるとスピーカーが1発なもんで、別にスピーカーボックスを用意しないとスピーカーが持たない・・・と楽器店の人に言われたんですよね。

現実問題として、我々の仕事では100Wをフルに使うなんて事はまずあり得ない事です。値段もリーズナブルな50Wタイプが出たので、すぐに購入しました。(もしかしたら60Wだったかも知れません)色は黒で、ハードケース付きでした。結構重かったアンプだったと思います。
ステージではいつもハードケースの上にブギーを乗せて使っていました。

日本向けの100V仕様では無かったので、常に117Vにするトランスも持ち歩いていました。確かマークⅡか、マークⅢかのどちらかだったと思いますが、忘れてしまいましたがこれです。

MESA-Boogie.jpg

私のやっていた仕事では、アンプで歪みを作るなんて事はまず、と言うか100%ありませんでした。
常にアンプはクリーンな状態にして、エフェクトで歪みを作るのが一般的でした。
何故かと言うと、アンプで歪ませちゃうと、歪み用とクリーン用のアンプの2台が必要になってしまいます。
余程の余裕のあるステージでもない限り、そんなセッティングは出来ないのでブギーと言えどもセッティングは常にクリーンのままでした。

それとブギーに付属の、リードとクリーンの切り替えのフットスイッチが死ぬほど硬くて使い物になりませんでした。変なアルミのケースのフットスイッチなんだけど、ここまで踏み難いフットスイッチにお目にかかった事は経験がありません。いかにもアメリカンな造りなんでしょうね。

ブギーの一番良かった所は、ミュージックマンと違って音の芯がハッキリと出る所でした。
太い音・・・と言えばそれまでですが、太さばかりではなく高域から低域まで芯のあるしっかりした音が出ました。
ブギーの特徴のイコライザーなんですが、あまり効きが良くないのと微妙な調整がやり難いので常にフラットにしていた状態でした。

基本的にはエフェクターをかなり繋げてアンプから音を出す訳ですが、ブギー独特の芯のある音は失われる事はありませんでした。

一度だけあるスタジオで休憩時間に、B.Cリッチとブギーだけでボリュームを結構上げて弾いたら、もの凄くいい音でびっくりした覚えがあります。意外と相性が良かったんでしょうね。

カールトンなんかは、ブギーのセッティングは超極端なセッティングにしていた様ですが、私は基本的にはフェンダー系のアンプと同じセッティングで弾いていました。

ブギーを使うようになって、ギターの音がリッチになった感じがしました。ミュージックマンはやはりチョット線が細い、と言うかブギーを使うようになって薄っぺらな音に感じてしまいました。

インターサウンドのプリアンプとブギーの相性も意外と良くて、ペダルで歪ませても充分に使える音がしました。

ずっと前の日記に書いた、ステージ上はアンプ1台でミキサー卓でコーラスで左右に振ってもらうセッティングの時には、JCよりブギーの方が明らかに音が良かったです。

当時はあまりアンプに選択肢の無い時代でしたので、右を見ても左を見てもブギーって時代でしたよね。

仕事はJCをレンタルなんかでまかなえていたので、ブギーも家に居る機会が多かったと思いますが、持っていると安心できる1台でした。

そんな時にあるアンプビルダーの方と知り合って、フェンダーのアンプを大改造した特注アンプを作ってもらう事になるまで、ブギーは所有していました。

特注アンプの話しは又次回・・・。


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