過去のライブ体験・渡辺香津美編

渡辺香津美さん・・・我が家では“渡辺香津美先生”と呼んでいます。

私世代のギタリストで、彼のギターを聴かなかった人は居ないのではないかと思います。
今でも日本のジャズギター界を引張っている、素晴らしいギタリストだと思います。

70年代後半のフュージョン・ブームの時期に、ジャズの世界からの斬新なアプローチで日本中のギタリストの目標になっていました。

そんな彼のライブは何度か見ています。
最初に見たのは間違いなく新宿の“ピット・イン”でした。高校生だった私はストレートなジャズを演奏する彼のギターに圧倒され、「ジャズって凄いな」と思うばかりでした。
その時のメンバーは、私の記憶が確かならベースは当時いつも一緒にやっていた井野さん、ドラムは風間さん(5~6年の後にまさか私が一緒に仕事をするとは夢にも思いませんでした)、ピアノは多分ですが益田さんだったと思いますが、ピアノに関しては定かではありません。。。

ライブの方ですが、正直高校生の私にはどこが良くて、どこが悪いのかなんてのは分かるはずも無く、ただただ真近で凄まじいギターを見せられ、やる気になったのを覚えています。
彼が出版した、ジャズギター教則本は全て買って練習させてもらいました。

次に彼を見たのは、同じピット・インでも六本木の方でした。前回見たライブとの間隔は随分空いていましたが、レコードで常にサウンドはチェックしていたのでさほど久し振り・・・と言う感じはしませんでした。
私の方も前回の時より、音楽的に少しは聴けるようになっていたので本当の意味で彼の演奏の素晴らしさを初めて見た感じがしました。

その時は、アレンビックでかなり深いディレイを掛けて(アナログディレイでした)、ソロでバラードを弾いていたのがとても印象的で、未だにあの時のギターの音は記憶の中にしっかりと刻まれています。
曲名の方ですが、まだジャズの知識があまりにも無く覚えていません。。。美しいバラードの曲だった事は確かです。
前回見た時とは別の、しっかりとしたバンドアレンジのしてあるライブで、やはり素晴らしい演奏でした。正直なところメンバーは覚えていません。ドラムは確か・・・青山純さんだったとは思うんですが。。。キーボードも確か笹路さんだったかと・・・。

その次に彼を見たのは、あるイベントのライブでした。
イベントと言っても有名な写真家(名前は覚えていませんが日本人の方です)とジャズのコラボレートというイベントで、84年か85年あたりでした。バブルの頃ってこんな感じのイベントが色々なジャンルで行われていましたよね。
場所は赤坂のオフィスビルの地下のイベントホールの中でした。
赤坂と言っても、霞ヶ関の交差点からすぐの所です。
何故かチケットが私の所に回って来て、ギタリストだから見に行ったら?くらいの軽いノリで渡されたチケットでした。
友人を誘って早速行ったんですが、普段はギャラリーに使っているようなスペースでしたのでとてもライブをやるには少々狭いかな?なんて思いましたが、演奏が始まってみれば過去に私が見た彼の演奏の中ではナンバー1でした。

写真とのコラボって事で、大きなスクリーンに大変美しい写真を映し出してそこにピアノの佐藤允彦さんと彼の即興に近い形のデュオで演奏する訳です。
その時に使っていたギターはトレードマークともなっていたスタインバーガーでした。
音の方はクリーンなトーンに空間系のエフェクトを上手く使っていて素晴らしい音でした。
ピアノとのデュオで全く対等に渡り合い、即興に近い形で繰り広げられる演奏は本当に素晴らしいを通り越していました。
狭いスペースだったお陰で、素晴らしい演奏を真近(2~3メートルくらい)で見れた事は一生の宝物だと思います。

イベントの内容がそんな具合なので音楽関係以外の方が多かった様ですが、そんな事は関係無く素晴らしいパフォーマンスでした。

当然その場限りのデュオでしたので、同じ2人でやるなんて事はもう無いでしょう。
その場に居られた私はとても幸せとしか言えません。

知っている曲を演ってくれたのは“マイ・フーリッシュ・ハート”だけでしたが、この時のこの演奏だけはもう二度と聞けないくらいの美しさでした。

彼の大きなホールでやるライブは見た事がありません。
現役引退前に恵比寿ビールの跡地に出来た“ファクトリー”で窪田君のバンドにゲストとして彼が3曲程弾く事になり、そこのバンドのドラマーと大の仲良しだった私は早速リハにお邪魔して見学させて頂きました。
挨拶した際に握手までして頂き、本当に感激しました。
物腰の柔らかい人でリハーサルでも年下のミュージシャン相手にもかかわらず、常に敬語を使っていたのが印象的でした。
ジャンルの違うバンドにゲストで弾いたんですが、とてつもなく凄い演奏でした。
アシスタントの方が大勢いて、セッティングや撤収の素早さにも目を奪われました。

昔も、今も、これからも、目標であるギタリストである事に変わりは無いです。
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エフェクターラックの話し。

デジタルディレイとかプリアンプとかの話しは前にも書きましたが、その手のエフェクターってラックマウントタイプな訳で当然私も巨大なラックを使っていました。

いつからかは分かりませんが、ラックマウントのエフェクターが主流になり、足元には今まで並んでいたコンパクトエフェクターはいつの間にかボスのオーバードライブだけで、ラックエフェクターのオン・オフのフットスイッチだらけになっていました。

当時の私のラックの中身を書く事にします。

トータルで10Uのラックを使っていました。
ラックを使い始めた頃は、10Uまとめてセットしていたんですが、どうしてもインターサウンドのプリアンプだけはどこに行く時にも持って行く事が必要になり、2U+8Uのラックを最終的に使っていました。

それではギターからの流れを書きます。
ギターからまずコンパクトのエフェクター(最終的にはボスのオーバードライブ1個でした)からまずはインターサウンドのプリアンプ、そこから1台目のディレイでステレオに振り分け、左右にさらにディレイ、その直後にディメンション、その後にヤマハのSPX、その後にヤマハのステレオリミッターを繋げていました。

ライン録音の時は、SPXとディメンションの接続を逆にしていました。ラインの時はあえてリミッターは通しませんでした。

10Uに一つ足りませんよね・・・。
残りの1Uは、レンタル楽器やリペアで有名な“レオ・ミュージック”に依頼して、1Uでラック内全てのエフェクターの電源が取れて更にパッチベイを付けてもらった特注の物を作ってもらいました。

ラックを使った事がある方は分かると思いますが、電源の取り回しやインプット・アウトプットが表側にあったり裏側にあったりで、配線の取り回しに苦労するんですよね。
てな訳で、色々考えて1Uのスペースは無駄になりますが、セッティングや撤収の事を考えて作ってもらいました。
やはり優れ物で、ラックの表側だけ蓋を開ければそこに電源コード(1本だけで全て裏側で電源をつなげるようにしてありました)とパッチベイのアウト・インがあるので、シールドはすでにつないである状態なのでアウトプットだけアンプにつなげばいい様になっていました。当然各エフェクターのオン・オフもフロント側に接続出来る状態の配線にしてありました。
インターサウンドは1Uのラックに納めて、エフェクト系を8Uに納めて使っていた次第です。

インターサウンドとディレイとディメンションの事は前に書いたので省略します。

ヤマハのSPXはやはりデジタルリバーブとして使っていました。
出た当時はビックリするくらいのいい音でした。ただ基本的にはプリセットされている音を全部使う訳では無く、基本的には質素なくらい地味なリバーブとして使っていました。
たまにですが、モジュレーションとしても使っていて、中々使い勝手のあるエフェクターでした。確か“シンホニック”って名前のプリセット音なんかいい感じで良く使っていました。

同じくヤマハのステレオリミッターなんですが、基本的にはリミッターな訳ですがこれもさほど強調する程の掛け方はしないで、あくまでもナチュラルな雰囲気で使っていました。
ただ、こちらも優れ物でノイズゲートが付いていたので、こちらの方がお世話になった次第です。

これだけの重量物とアンプ2台、シールド(ステージの大きさや何やら、トラブった時用の新品やらで20本近くは持ち歩いていました)や弦やちょっとした工具を入れるケース、更にアコギにエレクトリック2~3本(当然全てハードケースでした)を持って移動するのは並大抵の事では無かったです。
アシスタントを抱える程の売れっ子でも無かったので、自分で全て運んでいました。

稀に近場の学際なんかに車で直接行く時なんかは驚いた事が何度かあります。
その学校の学際のスタッフなんかが、見事に全てを運んでくれたりしたもんです。
一番驚いたのは、ある体育会系の学校の学際にお邪魔した時、到着するやいなや応援団風の人(当然学ラン)数名が私を取り囲み、何から何まで私物のカバンまでを運んで頂き、大変恐縮しました。車まで移動して頂き本当に体育会系の学校の凄さを目の当たりにしました。
学際って楽しいんだけど、その学校の軽音の連中なんかがリハの時目を凝らして真近で見られていて、結構リハがやりにくい思いもしました。
ある時は、私のアンプの後ろに立たれていて演りにくくて仕方がありませんでした。

今思えばキーボードやドラマーの方に比べれば、はるかに楽ではあったはずです。
あるキーボードプレーヤーと一緒に仕事をした時、ラック内にアカイのサンプラーやらシンセの音源モジュールやら何やらで20Uというつわものもいました。
あるギタリストは(名前を出せばかなりの方が知っている人です)、ライブでどうしてもマーシャルの3段積みを2セット使いたいと言い張って、自らトラックを購入してしまいました。

今ではそのラックも全て記憶の中にしかありませんが、自分が頑張っていた時期に自分の音を作ってくれたラックに感謝しています。

現役引退の理由。。。

ブログを始めて半年近く経ちました。
楽器の話しやら色々書いて来ましたが、それでは何故まずまず(自分がそう思っているだけかもしれませんが・・・)の状況で音楽で生活が成り立っていたのに、キッパリ音楽を辞めたのか書くのも必要かな?と思います。

当時はやはり、歌謡曲系の歌手の方とニューミュージック系の歌手の方の線引きみたいなのはあったと思います。(演奏する側ももちろん)
最初にプロになって始めた仕事は、歌謡曲系の仕事ばかりでした。
信じられないでしょうが、私が18~19歳の頃なんて私の両親がナツメロとして聴いているような人のコンサートでギターを弾いたりもしたんです。
頻繁ではありませんでしたが、そういう仕事もやって来たんですよね。当然演歌の仕事や、スタジオで演歌系の演奏もした事もあります。

最初は何でも来た仕事は断れない立場でしたし、そういう仕事でも一生懸命演奏すれば、身にならない事は無かったですし、勉強になる事も沢山ありました。

そういう仕事の現場で、今はもうすでにお亡くなりになった一世を風靡した有名な歌手の方に「若いのにしっかりしたギターを弾くね。頑張りなさいね。」と言って頂いて、恐縮した事があります。

そうこうしているうちに、20代前半の早い時期にはニューミュージックと呼ばれる歌手の方のお手伝いが出来るようになったんですよ。
そこからは比較的自分でも弾いていて楽しかったし、やり甲斐のある曲も多かったし、最新のアレンジをしてある曲を弾いたりするのは本当に気持ち良かったんですよね。

あとは、やはりコンサートでの盛り上がりですね。盛り上がったコンサートのステージ上にいられるって、当時でも幸せに感じていました。
やはりスッポトライトの威力って凄いですよね!あの雰囲気の中でギターを弾く気分って、中々味わえないものだと思います。
辞めたくせに、今でもそういう所で弾きたい欲求ってあります。
私がやめる頃はすでに、チョットしたステージでは“バリライト”が流行始めた時代でした。

音楽活動当初から、私はどこの現場に行っても一番年下だった事は事実です。
24~25歳の頃ですら、私と同じ年はおろか年下のミュージシャンはまず現場で見かける事は無かったし、現実に一緒に演奏した事もありませんでした。
その頃ですら大学を出てプロになった連中も、私より一つ二つ上のミュージシャンが一番多かったと思います。仲の良かったミュージシャン仲間も、その年代の人が一番多かったんです。

辞める2年くらい前から、自分の狙っていたアーティストのオーディション(当時はオーディションでミュージシャンを集めるのも結構多かったんです)にポツポツと落ちるようになったりしました。
そんな時合格したミュージシャンって、やはり上手いしすでに有名なところやバンドで演奏している人達だったんですよ。
私もそこそこの所では演奏していましたが、ビッグネームと言われるアーティストとの演奏はやはり私ランクでは声が掛からないんですよね。

大物系はやはり名のあるミュージシャンを使うわけだし、私達ランクとは一線を画していました。

その頃になって、ギタリストで私と変わらない年代の売れっ子ミュージシャンが4~5人現れて、個人的に話しなんかもした人もいたんですが、やはり上手い。(今でも皆さんバリバリに活躍しています)
大物女性歌手と結婚したBというバンド出身の長身ギタリストH・Tなんかがスタジオで超売れ始めていた頃です。
彼のレコーディングを見て、ぶったまげました!やはり凄いギターを弾くんですよ。

その他の人達も、私達がリハをしている所に訪ねて来たり、偶然隣のスタジオでリハをしていたりで、少しずつ面識が出来たりしたんですが、彼らもやはり凄くいいギターを弾いていました。

その中の一人のギタリストが、休憩中の私のスタジオ内のギターとラックの様子を15分くらいジッと見つめていたのが印象的でした。
彼も当時は坂本龍一さんのツアーに参加したりしていたんですよ。

そんな感じで20代後半になるとやはり売れっ子と言われる世代の近いギタリストが出現し始めた事が、大きな影響を与えています。

自分のやりたいアーティストや仕事って、結構高望みな事もあったんですが、希望に叶う結果がついて来ませんでした。

そんな状態が2年くらい続いた頃、ある企画のディナーショーで毎回のように紅白に出る大物の女性歌手の仕事を頼まれました。その企画自体は、他のミュージシャンも良く知っているメンバーだったし、歌謡曲や演歌っぽくない曲をやるので、面白かったんですよ。

そのディナーショーが終わってしばらくして、事務所の方から「○○さんのバンドでギターを弾いてもらえませんか?」という話しが来て、かなり悩みました。

1本あたりのギャラは、当時私が平均して貰っていたギャラより3割安くらいの金額でした。
歌謡曲系では相場と言われている金額だったと思います。ただ、年間を通して仕事の本数が多いので、お金になる事は確かです・・・。

しかし自分で一番考えたり拘った事って、やはりプロを始めた頃にやっていたあまり好きではなかった系の音楽を今からやるのはチョットためらいがあったのと、その後自分がどこまで自分のやりたい演奏を出来る場に居る事が出来るのか?という事でした。

そんな事を色々考えて、その話は偉そうですが断ったんです。

音楽を辞める直接のきっかけは、その事でした。
周りの人から見れば、歌謡曲でも有名な歌手のバックならいいのではないかと思われますが、私はすでにプロとしてギターを弾いて来て10年が経っていました。

周りを見れば、同年代の上手いギタリストもたくさん出現して、自分の限界が冷静な目で自分を見た時にハッキリと分かったりしました。
音楽で収入を得る事は出来たとしても、好きな場所で好きなギターを弾けないのなら、ここでキッパリとギターを辞める事が自分にとって一番いいと思ったんです。(まだまだ子供だったんですかね)

辞める時に、自分のやって来た事のひとつひとつは、良い事ばかりだったと思いました。
中々良く頑張ったと思える10年間だったと今でも後悔はしていません。

 

デジタルディレイと私

デジタルディレイ・・・今ではとても考えられない値段で、コンパクト型のデジタルディレイまで誰でも簡単に手に入る時代です。

私がプロになった当時ですら、まだまだテープエコーやアナログディレイが主流でデジタルディレイなんてのは、レコーディングのスタジオでしか見かけない物でした。
70年代終わり頃“レキシコン”から出ていたプライムタイムなんてのが目の玉が飛び出る程の値段で売っていたくらいです。(私の記憶では50万前後だったんじゃないでしょうか)
プライムタイムって実は優れ物で、タイムの違うディレイを1台で掛けられるんですよね。
後に私が作っていたサウンドって意外にプライムタイムですでに出来上がっていたんですよね。

80年代になって、ようやく我々ミュージシャンにも手の届く値段でデジタルディレイが国産のメーカーから出る事になります。
先端の音を求めていた私ですから、いち早く入手したんですよ。
確かローランドから出た、プリセットの出来ないディレイを最初に買いました。2000とかナントカというモデルで、プリセット出来ないので仕方無しにショートとロングを切り替えるのに手動でやっていた状態でした。
その後すぐにコルグからプリセットの出来る(3種類だったと思います)タイプが出たので、そちらもすぐに入手しました。

ローランド・コルグ共に15万近くした記憶があります。
今考えたら凄い値段で売っていたもんだと思いますが、デジタル製品の出始めってどんなジャンルでも仕方の無い事なんでしょうね。

余談ですが、キーボードプレーヤーほど楽器にお金を使った人もいないんじゃ無いでしょうか・・・?
私の回りも新製品が年々もの凄い性能で出るので、困り果てているキーボードプレーヤーが何人もごろごろいました。カーツウェルが300万なんてのが衝撃だった時代です。

デジタルディレイが何故必要だったか?
それは、ただ単に新しい物好きって訳じゃなくて、やはりまずはショートディレイがサウンド的にどうしても必要になったんです。
モジュレーションを掛けないショートディレイにディストーションを掛けて弾く音なんかが最先端だった時代です。ディストーションをオフにすれば、そのままカッティングにも使える音でした。
デジタルディレイ以外では作れない音でした。
もう一つ必要だった音は、ディレイで作るコーラス系の音です。アナログタイプのコーラスとは格段に違う音抜けの良さは、絶対に必要な音でした。

デジタルの利点はもう一つあります。
やはりタイムが設定出来る点でした。これは相当研究しました。
まずバッキングの時に、ディレイタイムをその曲の16分音譜3つ分に設定して、原音と同じ音量で返りを1回にしてバッキングするパターンです。
1拍目と3拍目の頭だけ弾くと、あら不思議な事に結構決まるカッティングが出来たんですよね。
16の1拍目の一番最後の音から8分刻みで弾くだけでも、かなり決まるカッティングパターンが完成しちゃうんですよ。

ソロの時、特にバラード系のソロの時はディレイタイムを2拍3連一個分や2個分にしたり、8分音譜3つ分にしたりするとかなりソロも際立つ感じになりました。最初の頃は面白がって、返りを3つにしたりしましたが、返り1発ってのが最後の頃の一番気に入っていた音です。

そんな訳であるミキサーの方から、ディレイタイムとテンポのチャート表を貰って色々と研究したんですよ。
当時はドンカマをモニターしながらのライブや、スタジオで作ったシンセの音の入ったテープを流したりしていたライブもあったので、ディレイタイムにはかなり気を使っていました。
タイムによっては曲に全然マッチしない感じになっちゃうんですよね。

コルグのディレイはちょっと好みの音と違う、線の細いディレイだったので1年ほど使って友人に売ってしまいました。

そんなこんなでローランドから待望のプリセットの出来るタイプのディレイが、続々と売り出されました。
確か2500ってのを3台まとめて買ったんですよね。チョットいい値段でした。

SDE-2500.jpg

3台ものディレイなんて必要あるのかと思われる方もいると思いますが、ライブでは結構必要なんです。
1台はショートディレイ(タイムはかなり悩んだ挙句、だいたい25~28くらいで使っていました。コーラス系のセッティングの時だけは40くらいまで使いました)にして生音とディレイ音を左右に振り分けて、生音の方にロングディレイ、ディレイ音の方にロングディレイのタイムの半分にショートディレイのタイムを引いたディレイを掛けます。
その左右の音をディメンションに入れてステレオで出すんですよ。ロングはどちらも返りは1回。

このサウンドってかなり使えました。
ショートディレイで輪郭の立った音に、左右でロングディレイを掛ける事でソロなんかでは本当に役に立ちました。

ロングディレイはライブではあまりいじらないで、基本的に生音に掛けるディレイタイムは400~440、ディレイ音に掛けるタイムはその半分でやっていました。
稀に350くらいのタイムでやる事もありました。

ロングディレイ2台のオン・オフだけでも結構大変だったんですよ。
ペダルボードが今の時代みたいにメモリー出来るタイプなんて無い時代だったので、結構足技でこなしてました。

ディレイ3台にディメンション・・・これは欠かせない私のサウンドになっていました。
勿論、曲調や要求される音等を出すのが仕事なので、なんでもかんでも掛けていた訳ではありません。当然ナチュラルなトーンで弾く事だってありました。
ただ、チョット派手目の曲のギターソロや、やはりバラード系のこれぞギターソロ!なんて時には抜群の威力を発揮してくれました。

逆に、ショートディレイをバイパスしてロングディレイ2系統でクリーントーンで弾くソロなんてのもやはりデジタルディレイに活躍してもらいました。
やはり、返りの音がクリーンなのがデジタルディレイの最大の美点でしょう。

ディレイに関しては書き尽くせないくらい色々書きたい事があります。
とりあえず今回はこんな感じで・・・。

音楽活動を再開して真っ先に買ったのが、デジタルディレイでした。
ラックタイプを使う程の活動をしないとは思いましたので、コンパクトタイプを入手したんですが、絶対に譲れない条件がありました。

ディレイタイムの表示が出来る・・・これが条件でした。

スタインバーガーと私

随分話しが飛んでしまいますが、私が現役時代最後に買ったギターはスタインバーガーです。

買ったのは確か26歳の時だったと思います。
それまで数々のギターを手にして来て、最後が何故スタインバーガーだったか自分でも不思議な感じです。

スターンバーガーと言っても、例の極端にボディーの小さいタイプでは無く、ストラトみたいなボディーにヘッドレスネックの付いたタイプの比較的とっつき易いタイプの方でした。
このギターでした。画像は拝借して来ました。

丁度その頃メインで使っていたEMG付きのストラトは絶好調だったのですが、ある時渋谷の石橋に何気なく立ち寄った時に知り合いの店長から「これどうですか?」と薦められたのがスタインバーガーでした。
その時にツインリバーブ直で試しに弾いてみたら、メインで使っているストラトよりも明らかに生音が格段に良かったんです。まず音の立ち上がりが良かったのと、フロントマイクはストラトよりも一回り太い音でした。即決でした。

Steinberger_GM4T.jpg

本当は黒が欲しかったんですが、その時は白が1本しか無くストラトも白だしまぁいいか・・・と思いその場で持ち帰りました。(当時ってそんな感じでバンバン楽器を買ちゃってたんですよね)

正直スタインバーガーってミディアムスケールなので、弾き易さは段違いでした。
ネックも当然木では無く、なんか凄い素材で出来ているのでネックの鳴りは抜群でした。
フレットや指盤の感じもメインで使っていたストラトとほぼ同じ感じだったので、すぐに馴染みました。

当然ピックアップはEMG。レイアウトはSSHでした。
ストラトの時にこだわっていた3シングルは存在しなかったので、リアのハムも納得済で買ったんですが、このリアマイクがやたらと使える音で、ディストーション系のリフやハードな感じのソロには抜群の威力を発揮してくれました。

ミディアムスケールってちょっと違和感があるかもしれませんが、後で書く事になるアレンビックを1年程使っていたので、私的にはあまり感じませんでした。
それよりもミディアムスケールゆえのテンション感や、それこそカリカリにならないリアの音はスタインバーガー独特の音でした。
逆に使いにくかったのが、フロントとミドルのハーフトーンでした。チョット使えない感じの音だったと思います、多分ピックアップの間隔がストラトより狭かったのが原因だと思うんですが・・・。
ですので、カッティングやアルペジオなんかはミドルのみで結構やっていました。それにしても音の立ち上がりや粒立ちが良くて、かなり気持ち良く弾けるギターだった事は間違いありません。

弦だけが問題でした。一応市販の弦も使えるようにはなってはいましたが、ヘッドに変なアダプターを付けないといけないので、ルックス的には凄く格好悪くなってしまいます。

私は0.10と0.09の変な組み合わせでしか当時は弾いていなかったので、スタインバーガーの時にはチョット悩みました。
2セットで6本しか弦を使わなかったという不経済な組み合わせでやっていたのに、スタインバーガーの専用弦って、当時で1セット1,600円くらいだったと思います。
さすがにそこまで不経済な事も出来ないので、専用弦の0.10をチョイスしました。
弦交換がやたらと楽なのと、いい音がする弦だったので充分に納得いきました。

やはり目玉はヘッドレスネックとトランストレムと呼ばれていたアームでしょう。
ただ、トランストレムって調整がもの凄く面倒くさくて中々使いこなせませんでした。(説明書が付いているギターって初めてでした・・・)
早い話が、和音を弾いても和音ごとポルタメントしたようなアーミングが出来るのですが、さすがに仕事ではそんな要求も無いし、普通のアームとして使っていました。

もう一つ良かった事は、夏場車内に放置して置いてもネックの心配が全くいらないのと、移動時の持ち運びが全く苦にならなかった事です。

ただ当時はやはり物珍しいのか、持っているとチョット冷やかされるなんて事もありました。
当時としては奇抜なルックスのギターだった事は確かです。

使っていたラックとの相性も良く(良くも悪くもEMGの音でした)、持ち運びが楽な事と1ステージ持っていても全く苦にならない軽さの為、随分とお世話になったギターです。

結局のところ、スタインバーガーを買ってからはストラト・テレキャス・スタインバーガー・ちょっとジャージーな感じの時に335かレスポールだけでほぼ全ての仕事をまかなう事が出来ました。
この5本だけで充分で、他のギターは全く必要性を感じませんでした。

スタインバーガーは、最後の最後まで処分するのをためらったのも事実です。。。

音楽活動を再開してから知り会った若手のギタリストが、ボディーの色こそ違え同じスタインバーガーを使っていてチョット弾かせてもらいました。
本当に昔を思い出してしまうくらい手に馴染んで、しばらく物思いにふけってしまいました。
今でも新品が売っているので、欲しくなってしまった事はいうまでもありません。

現在でも使っているギタリストがいるって事は、昔の私の選択も決して悪くは無かったと思える今日この頃です。

ミューシシャン時代の生活 その2

バッキングの仕事はほぼ10年やりました。
バッキングの仕事が全盛期、そんな時代に20代の自分がいれた事は運が良かったとしか言えないでしょう。

一口にバッキングミュージシャンの生活と言ってもかなり個人差があったはずです。
当たり前ですよね、同じ会社に勤めている訳じゃないし、やっぱりそこに至るまでの過程も十人十色でしたし、個性的な人が多かったのも事実ですし・・・。

取り敢えず私の知る限りと、私自身を中心としたその時の生活振りを少し書きます。

仕事と言っても、月々一定の収入がある訳では無く基本的にフリーな立場で仕事をしていたので、色々な苦労がありました。私的には仕事として軌道に乗るのは運がいい事に、いい先輩ミュージシャンに巡り合って比較的短い期間で軌道に乗るようになりました。苦労したのは最初の1年くらいでした。
その1年間って結構スケジュール的には埋まらなくて、月に少ない時で10本に満たない時も何度かありました。実家にいたもので何とかやっていけたと思っています。(そんな時期でも多い時は月20本近くの仕事をこなした時もあります)

私は出身が東京だったので、しかも若いうちにデビューしたのでだいぶ先行して仕事につきましたが、やはり苦労していたのは地方出身のミュージシャン達だったと思います。
地方から出てくる事すら大変な事なのに、東京で仕事を確保するのは本当に大変な事だったっと思います。コネ・・・と言うかまず、知り合いが居ないと中々やって行くには大変だったはずです。が、やはり実力さえあればどうにでもなる世界でしたので、時間は掛かってもやはり上手い人は周りがほっておかないのも事実です。

逆に地方からワンクッション、東京の大学の軽音なんかで活躍してそのままプロになるミュージシャンはかなり多くいました。私の周りもこのパターンのミュージシャンが数多くいました。

東京出身だからと言って、それがいいとは限りませんが、当時はやはり情報の差や若い時に経験出来る体験やら少しの差はあったと思います。

私はそんな訳で、運良く音楽以外の仕事はしないでなんとか現役を終わりましたが、周りを見ると若い20代前半くらいまではバイトしながら少ない仕事をこなしているミュージシャンも沢山いた事は事実です。名前は出せませんが、スタジオで有名な某ギタリスト(私よりチョット年上)も渋谷の牛丼屋さんで売れるまではバイトをしていた事は、本人から聞きました。

それでは忙しい時ってどんなパターンなのか、私の一番忙しい時期の話を書きます。(昔のスケジュール帳をひっぱり出しました)

26歳くらいのある一ヶ月(年末です)、大晦日まで休み無しで仕事をした事があります。
その時って結構掛け持ちでライブを受け持っていたので、一番ひどかった移動で、九州で(確か宮崎)ライブを終えて翌朝の一番で羽田に戻り都内でリハを2本やって最終便で札幌に行き、翌日ライブをやり翌朝名古屋に移動してそのままライブ。で、翌日一番の新幹線で都内に戻ってリハをやってそのまま都内で夜ライブ・・・。確かこんな感じでした。

私は超売れっ子・・・では無かったですが、そんな私ですらこんな事もあるので売れていたミュージシャン達の話はもっと凄いです。私の聞いた話では、リハーサルの時間をそのミュージシャンのスケジュールに合わせるなんてのはよく聞いた話ですし、ある売れっ子ドラマーのスケジュールが深夜しか確保出来ず、日付が変わってからのリハに付き合わされた事もあります。
深夜って意外にハイになっていい演奏が出来るんですよね。逆にダメなのって昼過ぎに始まるリハって私はまったりしちゃってエンジンが掛かるのに時間がかかりました。

余談ですが、その月って大晦日に北海道でライブをやって元旦に東京に帰って来たのを覚えています。お正月ムードなんて感じる暇も無かったです。

そんな時って下世話な話ですが、収入はビックリするくらい入って来ました。
しかしフリーの立場・・・。休みが1週間近く続く事もありました。若い時から先輩に言われていた事があります。「人が暇な時に暇なのは当たり前、その時に忙しいかどうかでミュージシャンとしての実力が問われるんだよ。」
その言葉は今でも記憶に残っています。

移動、移動で一番困るのは、ギターや機材を現場に持って行く事です。ギター自体は2本くらいなら自力で持って飛行機にも乗れますが、ラック・アンプ・エフェクターはとても無理なので、先ほどのスケジュールみたいな時はオールレンタル(アンプから小型エフェクターまで全て)でやったのを覚えています。ディレイ3台レンタルで何とかしてディメンションは無し・・なんて時もありました。インターサウンドのプリアンプだけは2Uのラックで常に持ち歩いていたので、少々の事ならナントカやれました。

アコギなんかもとても持ち運び出来ないので、現地に行くPAのトラックに積み込んでもらっていました。ですのでアコギがかぶる時は仕方無しに泣く泣く1本買ったのを覚えています。

私事ですが、当時は全くの独身(早婚してしまい即離婚しました)でしたので、休みの日の食事程困った事はありませんでした。
一人では中々味気ないので、深夜にミュージシャン仲間に電話を掛けては一緒にご飯を食べたもんです。
正直言うと、一般女性とは中々知り合っても超夜型のうえ忙しい時はこんな状態なので、どうしてもミュージシャン系の女性と・・・。
そんな時に偶然の偶然に千葉に住んでいた今のかみさんと知り合いました。

どうにかこうにか自分で意を決してミュージシャンを辞めるまで充実した音楽生活を送れたのは、幸せな事だったと今は本当に思っています。

Profile

Les Paul L-5

Author:Les Paul L-5
千葉県千葉市在住

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