GuitarRoom&MusicWorld
ギターと音楽のお気楽日記
衝動買いで買ったギター・レスポール編
昔は楽器店によく通っては、衝動買いで何本か買ってしまったギターがあります。
その中でも一番良かったのはレスポールのスタンダードの黒いやつでした。
前の日記に書いた335DOTを買った直後に買っちゃったんですよね。
初めて買った外国製のギターがレスポールだったんですが、下取りに出してしまい手元にはレスポールが無い時期が何年かありました。
80年代に入ってからギブソンもようやく作りに拘るギターを出し始めていて335を買ったんですが、やっぱりレスポールもいつも気になっていました。
80年代半ばはあまりレスポールを使っているギタリストも少なかったし、そういうサウンドもあまり求められていませんでした。
ニール・ショーンなんかはレスポールを使ってはいましたが、フロイトローズを付けたりレスポールとしての原型を留めてはいませんでした・・・。
335DOTを買った渋谷の石橋に弦を買いに行って、黒のレスポールを発見しちゃったんです。
正直、黒いレスポールは憧れでした。当然ベックの使っていたのが黒だった・・・と言う単純な理由です。
値段を聞いたら思ったよりかなり安くて、更に値引きもしてくれてすぐに予約しました。
一応弾いてから買ったんですが、「まあ、こんなもんか」と言うのが感想でした。値段も安いスタンダードだったので色と形だけで決めてしまいました。
買ってから後悔したのはヘッドの形でした。チョット大き目のヘッドでビンテージレスポールの感じとは随分印象が違っていました。
たださすがにギブソンで、ネックの感触なんかはさすがの作りでした。
どんなタイプのピックアップだったかは気にもせず、買ってすぐにダンカンのオープンタイプのピックアップに交換しました。当然色は黒でした。ベックのレスポールも黒いオープンタイプですからね。
ピックアップを交換して、かなり使える音がする様になりました。
本人はベックを意識して買ったレスポールのくせに、かなりジャージーなサウンド向きのギターでした。
余談ですが、中学生の頃竹田和夫さんが「ベックのレスポールなら幾ら出しても欲しい・・・」と言っていました。確か竹田和夫さんも一時期ベックと同じバーブリッジタイプのビンテージ物を使っていましたよね。
ギター雑誌に載っていて、子供心に凄いギターだと思ったものです。
当時のレスポールだから随分な重さでした。肩が凝るくらいの重さでした。
ステージで使う事も少なからずあったんですが、335とは違う意味でギブソンらしい音で活躍してもらいました。
リアマイクは確かに音抜けの面でEMGのストラトやシェクターの改造テレに比べると随分落ちましたが、フロントのキレや音の太さなんかは中々のもんでした。
意外と特注アンプとの相性は良かったと思っています。
今ではジェフ・ベックモデルとしてギブソンから完璧なコピーモデルまで出ている時代ですが、当時は黒いレスポールってだけで弾いている本人は結構満足していたんですよね。
ギター選びってそんな選び方も有りだと思います。好きなギタリストと同じ形と色のギターを手にしたい・・・ってのは、ギターを弾き始める動機やきっかけにもなるくらいですからね。
今持っているギターがレスポールだけなのも、私は実は昔からレスポール好きだったのかもしれません。
音楽活動を再開してレスポールを買う時に2本ほどジェフ・ベックモデルのレスポールを弾いてみたんですが、今の私にはチョット過激な音に感じてしまい、買うまでには至りませんでした。
本当は家に1本欲しいんですが・・・。
そんな訳で黒いレスポールも私の現役生活の最後まで付き合ってもらいました。
その中でも一番良かったのはレスポールのスタンダードの黒いやつでした。
前の日記に書いた335DOTを買った直後に買っちゃったんですよね。
初めて買った外国製のギターがレスポールだったんですが、下取りに出してしまい手元にはレスポールが無い時期が何年かありました。
80年代に入ってからギブソンもようやく作りに拘るギターを出し始めていて335を買ったんですが、やっぱりレスポールもいつも気になっていました。
80年代半ばはあまりレスポールを使っているギタリストも少なかったし、そういうサウンドもあまり求められていませんでした。
ニール・ショーンなんかはレスポールを使ってはいましたが、フロイトローズを付けたりレスポールとしての原型を留めてはいませんでした・・・。
335DOTを買った渋谷の石橋に弦を買いに行って、黒のレスポールを発見しちゃったんです。
正直、黒いレスポールは憧れでした。当然ベックの使っていたのが黒だった・・・と言う単純な理由です。
値段を聞いたら思ったよりかなり安くて、更に値引きもしてくれてすぐに予約しました。
一応弾いてから買ったんですが、「まあ、こんなもんか」と言うのが感想でした。値段も安いスタンダードだったので色と形だけで決めてしまいました。
買ってから後悔したのはヘッドの形でした。チョット大き目のヘッドでビンテージレスポールの感じとは随分印象が違っていました。
たださすがにギブソンで、ネックの感触なんかはさすがの作りでした。
どんなタイプのピックアップだったかは気にもせず、買ってすぐにダンカンのオープンタイプのピックアップに交換しました。当然色は黒でした。ベックのレスポールも黒いオープンタイプですからね。
ピックアップを交換して、かなり使える音がする様になりました。
本人はベックを意識して買ったレスポールのくせに、かなりジャージーなサウンド向きのギターでした。
余談ですが、中学生の頃竹田和夫さんが「ベックのレスポールなら幾ら出しても欲しい・・・」と言っていました。確か竹田和夫さんも一時期ベックと同じバーブリッジタイプのビンテージ物を使っていましたよね。
ギター雑誌に載っていて、子供心に凄いギターだと思ったものです。
当時のレスポールだから随分な重さでした。肩が凝るくらいの重さでした。
ステージで使う事も少なからずあったんですが、335とは違う意味でギブソンらしい音で活躍してもらいました。
リアマイクは確かに音抜けの面でEMGのストラトやシェクターの改造テレに比べると随分落ちましたが、フロントのキレや音の太さなんかは中々のもんでした。
意外と特注アンプとの相性は良かったと思っています。
今ではジェフ・ベックモデルとしてギブソンから完璧なコピーモデルまで出ている時代ですが、当時は黒いレスポールってだけで弾いている本人は結構満足していたんですよね。
ギター選びってそんな選び方も有りだと思います。好きなギタリストと同じ形と色のギターを手にしたい・・・ってのは、ギターを弾き始める動機やきっかけにもなるくらいですからね。
今持っているギターがレスポールだけなのも、私は実は昔からレスポール好きだったのかもしれません。
音楽活動を再開してレスポールを買う時に2本ほどジェフ・ベックモデルのレスポールを弾いてみたんですが、今の私にはチョット過激な音に感じてしまい、買うまでには至りませんでした。
本当は家に1本欲しいんですが・・・。
そんな訳で黒いレスポールも私の現役生活の最後まで付き合ってもらいました。
過去のライブ体験・ラリー・カールトン編。
ラリー・カールトンは、はっきり言って好きなギタリストを挙げろと言われれば5本の指に入る存在です。
カールトンのライブは多分一番多く観て来たと思います。最近はすっかりご無沙汰していますが、間違いなく一番観て来たギタリストです。
数ある彼のライブの中でも最大の衝撃は、五輪真弓のバックで来日した初来日の時にお忍びに近い形でオープンしたての六本木ピットインでの単独ライブでした。ギターも輸送の関係で日本でレンタルしたと思われるブラウンの335とヤマハのセミアコを使っていました。
(自慢じゃないですが私のと全く同じタイプの335でした、後日カールトン使用ギターとして売りに出ていました)
今では彼の代表曲ルーム335もこの時のライブではサマー・サンと紹介されていました。(のちにFMで放送した時も同じでしたので、間違えないです)
17歳の私には理解を超えたギターを目の当たりにして、ショックで口が聞けなかったのは今でもハッキリ覚えています。
次に観たのは何年か後の単独で来日公演をした時で、渋谷公会堂で2日連続で演ったのを2日共観に行きました。
この時は既にカールトンブーム真っ只中で、客席では望遠鏡で観ている観客もいる始末でチョット演奏を聴く事に集中出来なかったです。
その後何度か観ましたが、一番良かったのは“ブルー・ノート”で観たカールトンでした。
ライブハウスで観るのはやはり彼のいい部分を真近で感じる事が出来るので、本当にいいライブでした。
そのライブは何故かビンテージのストラトで押し通していましたが、さすが彼の手にかかるとストラトも充分にカールトンサウンドがしていました。
ダンプルのアンプで弾いているのを観たのもその時が最初でした。
一時のカールトンはちょっとサウンド的に好みから外れてしまった時期があって、私個人としてはエフェクトが掛かり過ぎの感がありました。
チョット過剰にディレイを掛けたり、歪みが妙にキツイ時期がありました。
初期の頃、クルセイダースで演っていた頃のサウンドを今聴くと本当にいい音がしています。
クルセイダースの“スパイラル”のギターソロは衝撃でした。
コードチェンジに対して見事にコントロールされたフレーズは、今弾いても素晴らしいアプローチだと思います。
カールトンは元々セッションギタリストでしたので、数多くの名演をあちらこちらで残しています。
確かにソロよりもセッションでのギターの方が良かったりもしました。
私がカールトンのセッションで最も好きなのはドナルド・フェイゲンの“ナイト・フライ”のラストの曲です。
この曲ではソロはとっていませんが、シャッフルでのバッキングワークが前面に押し出されていてボーカルのバックでこれ以上ないセンスで抜群のバッキングをしています。
時期的にも音の感じからも、EMGの付いたバレイ・アーツを使っていたと思われますが、抜群の音色で弾いています。
何度聴いても鳥肌もんです。
ロスを離れてからの彼のギターサウンドは、本当に“円熟”した音で初期の頃よりも今の私には心地よく感じます。
“サファイア・ブルー”のジャケットを良く見ると、ピックの持ち方が昔と変っている事に気が付いてビックリしました。真似した訳では無いのですが偶然にも今の私も同じ持ち方です。
それぞれのミュージシャンも年代によって出す音が変化して行くのが面白いですよね。
カールトンのギターは、完コピした曲も数多くありますし、所々美味しい所だけコピーしたのは数限りなくあります。
ギタリストの個性が一番出てしまうチョーキングなんかは、彼のを頂戴した部分が多いと思います。
彼のギターは、ポジショニングまで正確にコピーしないとフレーズ自体のニュアンスが大分変ってしまうので、結構苦労しました。
弦のゲージが細かった時期があったのか、アンプのチューニングのせいか、3弦と4弦・1弦と2弦の区別が付き難い箇所が結構あって苦労しました。
(ポジショニングは間違ってコピーするとクラプトンのクロスロードのイントロ状態になってしまいますからね、全くニュアンスが変ってしまいます)
コードに対してのアプローチもコピーしてみて、なるほど!と思わせる所が随所にあって随分と役に立ちました。
ルーム335の頃は、あるコードに対して別のコードのトライアードでコード分解したフレーズを弾いていました。これは随分と勉強になりました。
最近のをコピーしてみると、意外とブルージーなフレーズはジョー・パスが使っていたフレーズを上手く取り入れていたり、チョット意外な感じでケニー・バレル風なフレーズもあったりして、彼も随分研究していた跡が伺えて嬉しくなってしまいます。
そんなこんなで去年の東京ジャズで観れなかったので、今年は十数年振りに彼のライブを観にいく事にしました。
どんなギターを聴かせてくれるか今から心待ちにしています。
好きだった昔の人に会いに行く感覚に近いです。
カールトンのライブは多分一番多く観て来たと思います。最近はすっかりご無沙汰していますが、間違いなく一番観て来たギタリストです。
数ある彼のライブの中でも最大の衝撃は、五輪真弓のバックで来日した初来日の時にお忍びに近い形でオープンしたての六本木ピットインでの単独ライブでした。ギターも輸送の関係で日本でレンタルしたと思われるブラウンの335とヤマハのセミアコを使っていました。
(自慢じゃないですが私のと全く同じタイプの335でした、後日カールトン使用ギターとして売りに出ていました)
今では彼の代表曲ルーム335もこの時のライブではサマー・サンと紹介されていました。(のちにFMで放送した時も同じでしたので、間違えないです)
17歳の私には理解を超えたギターを目の当たりにして、ショックで口が聞けなかったのは今でもハッキリ覚えています。
次に観たのは何年か後の単独で来日公演をした時で、渋谷公会堂で2日連続で演ったのを2日共観に行きました。
この時は既にカールトンブーム真っ只中で、客席では望遠鏡で観ている観客もいる始末でチョット演奏を聴く事に集中出来なかったです。
その後何度か観ましたが、一番良かったのは“ブルー・ノート”で観たカールトンでした。
ライブハウスで観るのはやはり彼のいい部分を真近で感じる事が出来るので、本当にいいライブでした。
そのライブは何故かビンテージのストラトで押し通していましたが、さすが彼の手にかかるとストラトも充分にカールトンサウンドがしていました。
ダンプルのアンプで弾いているのを観たのもその時が最初でした。
一時のカールトンはちょっとサウンド的に好みから外れてしまった時期があって、私個人としてはエフェクトが掛かり過ぎの感がありました。
チョット過剰にディレイを掛けたり、歪みが妙にキツイ時期がありました。
初期の頃、クルセイダースで演っていた頃のサウンドを今聴くと本当にいい音がしています。
クルセイダースの“スパイラル”のギターソロは衝撃でした。
コードチェンジに対して見事にコントロールされたフレーズは、今弾いても素晴らしいアプローチだと思います。
カールトンは元々セッションギタリストでしたので、数多くの名演をあちらこちらで残しています。
確かにソロよりもセッションでのギターの方が良かったりもしました。
私がカールトンのセッションで最も好きなのはドナルド・フェイゲンの“ナイト・フライ”のラストの曲です。
この曲ではソロはとっていませんが、シャッフルでのバッキングワークが前面に押し出されていてボーカルのバックでこれ以上ないセンスで抜群のバッキングをしています。
時期的にも音の感じからも、EMGの付いたバレイ・アーツを使っていたと思われますが、抜群の音色で弾いています。
何度聴いても鳥肌もんです。
ロスを離れてからの彼のギターサウンドは、本当に“円熟”した音で初期の頃よりも今の私には心地よく感じます。
“サファイア・ブルー”のジャケットを良く見ると、ピックの持ち方が昔と変っている事に気が付いてビックリしました。真似した訳では無いのですが偶然にも今の私も同じ持ち方です。
それぞれのミュージシャンも年代によって出す音が変化して行くのが面白いですよね。
カールトンのギターは、完コピした曲も数多くありますし、所々美味しい所だけコピーしたのは数限りなくあります。
ギタリストの個性が一番出てしまうチョーキングなんかは、彼のを頂戴した部分が多いと思います。
彼のギターは、ポジショニングまで正確にコピーしないとフレーズ自体のニュアンスが大分変ってしまうので、結構苦労しました。
弦のゲージが細かった時期があったのか、アンプのチューニングのせいか、3弦と4弦・1弦と2弦の区別が付き難い箇所が結構あって苦労しました。
(ポジショニングは間違ってコピーするとクラプトンのクロスロードのイントロ状態になってしまいますからね、全くニュアンスが変ってしまいます)
コードに対してのアプローチもコピーしてみて、なるほど!と思わせる所が随所にあって随分と役に立ちました。
ルーム335の頃は、あるコードに対して別のコードのトライアードでコード分解したフレーズを弾いていました。これは随分と勉強になりました。
最近のをコピーしてみると、意外とブルージーなフレーズはジョー・パスが使っていたフレーズを上手く取り入れていたり、チョット意外な感じでケニー・バレル風なフレーズもあったりして、彼も随分研究していた跡が伺えて嬉しくなってしまいます。
そんなこんなで去年の東京ジャズで観れなかったので、今年は十数年振りに彼のライブを観にいく事にしました。
どんなギターを聴かせてくれるか今から心待ちにしています。
好きだった昔の人に会いに行く感覚に近いです。
ボリュームペダルの話し。
ボリュームペダル・・・今ではあまり使っている方は少なくなってしまったんでしょうか?楽器店に行ってもあまり見かける事が少なくなりました。
私が10代後半の頃から、ギタリストと言えばエフェクターのあとにボリュームペダルを繋ぐのが半ば常識となっていました。
私的にボリュームペダルが気に成り出したのは、カールトンの写真やリトナーの写真を見てからです。
ロック系のギタリストがストラトなんかでバイオリン奏法をボリュームを駆使してやっているのは知っていました。
有名なところでは、ベックの“哀しみの恋人達”やもうチョット古いところでイエスの“ラウンド・アバウト”のイントロなんか有名ですよね(この曲は中学生の時に完コピしたんですよ)。
イエスの場合多分ボリュームペダルを使っていたはずです。
ボリュームペダルさえあれば335と言えどもいとも簡単にバオリン奏法が出来るんですよね。
ただ、仕事をするようになってバイオリン奏法ってスローの曲の効果音的に使ったり、歌前でチョーキングしてヒヨ〜〜ンって感じで音を伸ばすくらいしか使わなかったです。
ボリュームペダルが絶大な威力を発揮するのは、コンプレッサーを使ったりディストーション系を使った時でした。
コンプレッサーは基本的に小さい音を大きく、大きい音を小さくしてしまうのでギター側のボリューム調整が効き難くなってしまいます。
又ディストーションもバッキングのリフなんかの歪み具合とソロの歪み具合が基本的に一緒でやっていたので、バッキングとソロの音量差をライブでつける時にはボリュームペダルは必需品でした。
ですので、プロになってから常にボリュームペダルは使っていました。
私が一番気に入って使っていたのは、カールトンも使っていた“ショーバット”のペダルでした。
“アーニーボール”なんかも一時使っていたんですが、踏み心地やボリュームの上げ下げの感覚がチョット合わなかった感じです。
ボリュームペダル自体の作りは意外とちゃちな作りで、中を見るとタコ糸みたいなものでボリュームを回しているんですよね。
そんな訳で“ショーバット”のペダルは丈夫だった方ですが、3回程買い換えた覚えがあります。
ラックエフェクターを使うようになってからは必然的にコンプレッサーも必要無くなって使わなくなったんですが、ボリュームの調整はやはりボリュームペダルでやっていました。
結局のところ、ハード目の曲のバッキングなんかは結構歪んだ音でやっていたので、ボリュームペダル無しだと結構不便だったんですよね。
ソロに切り替わる時も、足の感覚ひとつでボリュームが上がるのでやはり便利でした。
音楽活動を再開した時に、ボスのボリュームペダルを見つけて使いもしないのに衝動買いしてしまいました。まだ一度も使っていません。
私が10代後半の頃から、ギタリストと言えばエフェクターのあとにボリュームペダルを繋ぐのが半ば常識となっていました。
私的にボリュームペダルが気に成り出したのは、カールトンの写真やリトナーの写真を見てからです。
ロック系のギタリストがストラトなんかでバイオリン奏法をボリュームを駆使してやっているのは知っていました。
有名なところでは、ベックの“哀しみの恋人達”やもうチョット古いところでイエスの“ラウンド・アバウト”のイントロなんか有名ですよね(この曲は中学生の時に完コピしたんですよ)。
イエスの場合多分ボリュームペダルを使っていたはずです。
ボリュームペダルさえあれば335と言えどもいとも簡単にバオリン奏法が出来るんですよね。
ただ、仕事をするようになってバイオリン奏法ってスローの曲の効果音的に使ったり、歌前でチョーキングしてヒヨ〜〜ンって感じで音を伸ばすくらいしか使わなかったです。
ボリュームペダルが絶大な威力を発揮するのは、コンプレッサーを使ったりディストーション系を使った時でした。
コンプレッサーは基本的に小さい音を大きく、大きい音を小さくしてしまうのでギター側のボリューム調整が効き難くなってしまいます。
又ディストーションもバッキングのリフなんかの歪み具合とソロの歪み具合が基本的に一緒でやっていたので、バッキングとソロの音量差をライブでつける時にはボリュームペダルは必需品でした。
ですので、プロになってから常にボリュームペダルは使っていました。
私が一番気に入って使っていたのは、カールトンも使っていた“ショーバット”のペダルでした。
“アーニーボール”なんかも一時使っていたんですが、踏み心地やボリュームの上げ下げの感覚がチョット合わなかった感じです。
ボリュームペダル自体の作りは意外とちゃちな作りで、中を見るとタコ糸みたいなものでボリュームを回しているんですよね。
そんな訳で“ショーバット”のペダルは丈夫だった方ですが、3回程買い換えた覚えがあります。
ラックエフェクターを使うようになってからは必然的にコンプレッサーも必要無くなって使わなくなったんですが、ボリュームの調整はやはりボリュームペダルでやっていました。
結局のところ、ハード目の曲のバッキングなんかは結構歪んだ音でやっていたので、ボリュームペダル無しだと結構不便だったんですよね。
ソロに切り替わる時も、足の感覚ひとつでボリュームが上がるのでやはり便利でした。
音楽活動を再開した時に、ボスのボリュームペダルを見つけて使いもしないのに衝動買いしてしまいました。まだ一度も使っていません。
過去のライブ体験・ディープ・パープル編。
私が初めて外国のミュージシャンのコンサートを見たのは何を隠そう“ディープ・パープル”です。
中学生時代は、どんな音楽でも聴きあさりましたがやはり一番聴いたのはハードロック。
中でもパープルは一番聴いたと思います。
中学生時代には既にライブインジャパンが発売されていて、スタジオ盤とは違うライブの臨場感ある演奏に圧倒されていました。
中学生時代にパープルもメンバーチェンジしてしまい、バーンが出た頃はボーカルとベースが代わってしまいましたが素晴らしいアルバムでした。
今ではそのメンバーのカリフォルニアジャムの映像もDVDで見る事が出来ますが、当時はFMでやったのをエアチェックして一生懸命コピーしていたんですよ。
75年にパープルが来日する事になったんですが、残念な事にギターのリッチーはすでに脱退してパープル初のアメリカ人のトミー・ボーリンが加入したバンドになっていました。
ただそのメンバーで出した、世間的には不評だった“カム・テイスト・ザ・バンド”は個人的に凄く好きなアルバムでした。
バラードの“ディスタイム・アラウンド”なんかは今までのパープルではあり得ないシットリとした名曲だと思います。
75年、私は中学3年生でした。
今までは外タレのコンサートって中々行けなかったんですが、パープルが来ると知ったからには行かない訳にはいきませんでした。
場所は日本武道館。その後何度も足を運ぶ事になるホールですが、行ったのはその時が初めてでした。
チケットの取り方も良く分からない子供でしたので、何から何まで初体験でした。
確か電話で予約をして、銀座のチケットセンターみたいな所に後日チケットを取りに行った覚えがあります。
12月にコンサートがあったんですが、なんと高校入試前の最後の期末試験とほぼかち合っていたと思いますが、そんな事は関係無く本人は異様に盛り上がっていました。
そんな事情で一緒に行ってくれる友人は一人も居なくて、結局中学3年生の私一人で行く事になってしまいました。
事前に調べて竹橋駅から歩けば近い事を確認してから行ったんですが、駅を降りて人波にくっついて行けば自然と武道館に到着していました。
帰りはしっかりと道が分からなくなってしまい、何処をどうやって歩いたか分かりませんが東京駅に着いてしまいました。(子供だったんですね)
当時のコンサートは前座バンドが演奏する事が多かったと思います。パープルの前座はなんと“四人囃子”でした。前座バンドもかなり好きなバンドでびっくりしてしまいました。
前座のバンドって30分程で演奏が終わって、パープルが登場してビックリしました。
前座バンドは明らかにサウンドチェックを兼ねていたとしか思えませんでした。なんとパープルのボリュームは5倍は出ていました。
とにかく音が大きかったのが印象的でした。
トミー・ボーリン自体はあまりいい演奏では無かったと思いました。ステージアクションが派手過ぎてあまり良くなかったと思いますが、後で聞いたところによると骨折していたらしいです。
ただ初めて見るロックコンサートに興奮しない訳はありませんでした!
イアン・ペイスのドラムは30年以上経った今も目に焼きついています。
ディープ・パープルを見たのはその時が最初で最後でした。
高校生になってからはロックから少し離れてしまい、大人になってからは中々行くチャンスが無くて残念な事になってしまいました。
リッチーだけは見ておけば良かった・・・と後悔しています。
レインボーは何度か見に行くチャンスがあったんですが・・・。
プロになって一度お遊びでリハの合間にパープルの曲を演って、みんな異様に盛り上がったのがとてもいい思い出です。最初は適当に演奏してたんですが、徐々に気合が入ってしまいました。
確か六本木のピットインか屋根裏で和田アキラさんがギターで、パープルのコピーライブをやっていたと思います。
大人になってから演るパープルって盛り上がるんですよね。
たまに昔コピーした曲をレコードと合わせて弾くと、とても盛り上がります。
中学生時代は、どんな音楽でも聴きあさりましたがやはり一番聴いたのはハードロック。
中でもパープルは一番聴いたと思います。
中学生時代には既にライブインジャパンが発売されていて、スタジオ盤とは違うライブの臨場感ある演奏に圧倒されていました。
中学生時代にパープルもメンバーチェンジしてしまい、バーンが出た頃はボーカルとベースが代わってしまいましたが素晴らしいアルバムでした。
今ではそのメンバーのカリフォルニアジャムの映像もDVDで見る事が出来ますが、当時はFMでやったのをエアチェックして一生懸命コピーしていたんですよ。
75年にパープルが来日する事になったんですが、残念な事にギターのリッチーはすでに脱退してパープル初のアメリカ人のトミー・ボーリンが加入したバンドになっていました。
ただそのメンバーで出した、世間的には不評だった“カム・テイスト・ザ・バンド”は個人的に凄く好きなアルバムでした。
バラードの“ディスタイム・アラウンド”なんかは今までのパープルではあり得ないシットリとした名曲だと思います。
75年、私は中学3年生でした。
今までは外タレのコンサートって中々行けなかったんですが、パープルが来ると知ったからには行かない訳にはいきませんでした。
場所は日本武道館。その後何度も足を運ぶ事になるホールですが、行ったのはその時が初めてでした。
チケットの取り方も良く分からない子供でしたので、何から何まで初体験でした。
確か電話で予約をして、銀座のチケットセンターみたいな所に後日チケットを取りに行った覚えがあります。
12月にコンサートがあったんですが、なんと高校入試前の最後の期末試験とほぼかち合っていたと思いますが、そんな事は関係無く本人は異様に盛り上がっていました。
そんな事情で一緒に行ってくれる友人は一人も居なくて、結局中学3年生の私一人で行く事になってしまいました。
事前に調べて竹橋駅から歩けば近い事を確認してから行ったんですが、駅を降りて人波にくっついて行けば自然と武道館に到着していました。
帰りはしっかりと道が分からなくなってしまい、何処をどうやって歩いたか分かりませんが東京駅に着いてしまいました。(子供だったんですね)
当時のコンサートは前座バンドが演奏する事が多かったと思います。パープルの前座はなんと“四人囃子”でした。前座バンドもかなり好きなバンドでびっくりしてしまいました。
前座のバンドって30分程で演奏が終わって、パープルが登場してビックリしました。
前座バンドは明らかにサウンドチェックを兼ねていたとしか思えませんでした。なんとパープルのボリュームは5倍は出ていました。
とにかく音が大きかったのが印象的でした。
トミー・ボーリン自体はあまりいい演奏では無かったと思いました。ステージアクションが派手過ぎてあまり良くなかったと思いますが、後で聞いたところによると骨折していたらしいです。
ただ初めて見るロックコンサートに興奮しない訳はありませんでした!
イアン・ペイスのドラムは30年以上経った今も目に焼きついています。
ディープ・パープルを見たのはその時が最初で最後でした。
高校生になってからはロックから少し離れてしまい、大人になってからは中々行くチャンスが無くて残念な事になってしまいました。
リッチーだけは見ておけば良かった・・・と後悔しています。
レインボーは何度か見に行くチャンスがあったんですが・・・。
プロになって一度お遊びでリハの合間にパープルの曲を演って、みんな異様に盛り上がったのがとてもいい思い出です。最初は適当に演奏してたんですが、徐々に気合が入ってしまいました。
確か六本木のピットインか屋根裏で和田アキラさんがギターで、パープルのコピーライブをやっていたと思います。
大人になってから演るパープルって盛り上がるんですよね。
たまに昔コピーした曲をレコードと合わせて弾くと、とても盛り上がります。
アコースティックギターの話し。
アコースティックギター・・・フォークギターやクラシックギターの事です。
私たちは、フォークギターを“アコギ”クラシックギターを“ガット”と呼んでいました。
初めて買ったアコギは前の日記にも書いた小学生の時に買ったモーリスの安物のフォークギターで、中学生になって定価5万円だったと思いますが、チャキのJ-45のコピーモデルを買ったんですよ。
これは本当に良く出来たギターでした。
高校生の頃まで手元にあって、エレキとは別に良く練習で使っていました。
EL&Pの“展覧会の絵”のA面のグレック・レイクのギターソロなんか一生懸命コピーしたりしてました。
チャキってウッドベースで有名なメーカーでギターの作りも中々のもんでした。
今でもチャキのギターが欲しいくらいです。
仕事をする様になって直ぐに必要になったのがアコギでした。
持っていたチャキではとても仕事には使えなかったので、直ぐに仕事に耐えられるギターを探す事になりました。
当時の流行は勿論“オベーション”でした。私も当然オベーションを手に入れる事になった訳です。
19歳の時でした。
オベーションってネックの感じがエレキと殆ど変わらなくて、やたらと弾き易いアコギでした。
ただボディーのバックが薄いタイプと厚いタイプがあったんですが、私は薄いタイプを選びました。
マイク内臓のモデルを最初に買ったんですが、結局アコギが2本必要になってマイク無しのモデルも買う事になってしまいました。
基本的に歌伴では1コーラスアコギだけの曲って結構多くて、アルペジオなんかもかなり練習しました。私は本格的なアコギのギタリストでは無いので、ピックでアルペジオをやる方でした。(3フィンガーだけは別でしたが)
オベーションのいい所は弦高の調整がブリッジの所で出来るので凄く重宝しました。
マイク内臓ではないオベーションにはバーカスベイリーのピックアップを付けて、プリアンプに通していました。結局マイク内臓のタイプよりいい音がしたのでマイク内蔵型オベーションは数年して手放す事になりました。
それでもやはりアコギが2本必要になってしまいもう1本を探していたところ、当時(83年頃)グレコからGOと言うエレキが発売になってモニターしませんか・・・と言う話が来て1本頂いたんですが、その時に担当の方と話しをしていたらイバニーズからアコギが新しく出るとの事で早速1本用意してもらう事になりました。
発売前でしたので、無理言って1本用意してもらいました・・・と言っても神田商会の倉庫に連れて行かれて(山手線のガード下にあるもの凄い倉庫でした)山積みになっている倉庫の中から好きなのを選んで下さいと言われ、手当たり次第に弾いて気に入った1本を選びました。
こちらの方はモニター出来なかったので、本当の卸値で買わせてもらいました。
定価で10万円以上のアコギだったと思いますが、超格安で手に入れる事が出来ました。
イバニーズもバーカスベイリーからプリアンプで使っていました。中々いい音でした。
アコギとは別にガットも必要な事が極たまにあったんですが、私が持っていたガットギターはよくブランドの分からない安物のガットギターだったので、いつも困っていました。
本格的なガットを買うとなると20万以上はかかってしまいますが、滅多に使う事の無い楽器でしたのでいつも友人や事務所の方に借りていました。
いつも快く貸してくれた友人は今はロスでセッションミュージシャンとして活躍しています。
一度だけある歌手の方がボサノバチックなシングルを出したんですよ。当然バックのギターはガットで、歌中もガットのバッキングがメインの曲でツアーや放送で3ヶ月程必要になってしまい、その時ばかりは困り果ててしまいました。
結局1本買ってしまいました。買ったのは渋谷の昔のESPの近くにある“ギタルラ社”と言うお店で値段もそこそこでさすがに自分でも躊躇した覚えがあります。
さすがにいい音がしました。
結局なんだかんだ必要に駆られると楽器に出費がかさんでしまうんですよ。
ライブでは色々な曲調の演奏を再現しなければならないので、アコギやガットもそこそこ弾けるようには練習したもんです。
現役を辞める時に全ての楽器は処分したんですが、オベーションだけは何故か売れ残ってずっと持っていました。
そのギターもつい最近ある知人に引き取られて行きました。
私たちは、フォークギターを“アコギ”クラシックギターを“ガット”と呼んでいました。
初めて買ったアコギは前の日記にも書いた小学生の時に買ったモーリスの安物のフォークギターで、中学生になって定価5万円だったと思いますが、チャキのJ-45のコピーモデルを買ったんですよ。
これは本当に良く出来たギターでした。
高校生の頃まで手元にあって、エレキとは別に良く練習で使っていました。
EL&Pの“展覧会の絵”のA面のグレック・レイクのギターソロなんか一生懸命コピーしたりしてました。
チャキってウッドベースで有名なメーカーでギターの作りも中々のもんでした。
今でもチャキのギターが欲しいくらいです。
仕事をする様になって直ぐに必要になったのがアコギでした。
持っていたチャキではとても仕事には使えなかったので、直ぐに仕事に耐えられるギターを探す事になりました。
当時の流行は勿論“オベーション”でした。私も当然オベーションを手に入れる事になった訳です。
19歳の時でした。
オベーションってネックの感じがエレキと殆ど変わらなくて、やたらと弾き易いアコギでした。
ただボディーのバックが薄いタイプと厚いタイプがあったんですが、私は薄いタイプを選びました。
マイク内臓のモデルを最初に買ったんですが、結局アコギが2本必要になってマイク無しのモデルも買う事になってしまいました。
基本的に歌伴では1コーラスアコギだけの曲って結構多くて、アルペジオなんかもかなり練習しました。私は本格的なアコギのギタリストでは無いので、ピックでアルペジオをやる方でした。(3フィンガーだけは別でしたが)
オベーションのいい所は弦高の調整がブリッジの所で出来るので凄く重宝しました。
マイク内臓ではないオベーションにはバーカスベイリーのピックアップを付けて、プリアンプに通していました。結局マイク内臓のタイプよりいい音がしたのでマイク内蔵型オベーションは数年して手放す事になりました。
それでもやはりアコギが2本必要になってしまいもう1本を探していたところ、当時(83年頃)グレコからGOと言うエレキが発売になってモニターしませんか・・・と言う話が来て1本頂いたんですが、その時に担当の方と話しをしていたらイバニーズからアコギが新しく出るとの事で早速1本用意してもらう事になりました。
発売前でしたので、無理言って1本用意してもらいました・・・と言っても神田商会の倉庫に連れて行かれて(山手線のガード下にあるもの凄い倉庫でした)山積みになっている倉庫の中から好きなのを選んで下さいと言われ、手当たり次第に弾いて気に入った1本を選びました。
こちらの方はモニター出来なかったので、本当の卸値で買わせてもらいました。
定価で10万円以上のアコギだったと思いますが、超格安で手に入れる事が出来ました。
イバニーズもバーカスベイリーからプリアンプで使っていました。中々いい音でした。
アコギとは別にガットも必要な事が極たまにあったんですが、私が持っていたガットギターはよくブランドの分からない安物のガットギターだったので、いつも困っていました。
本格的なガットを買うとなると20万以上はかかってしまいますが、滅多に使う事の無い楽器でしたのでいつも友人や事務所の方に借りていました。
いつも快く貸してくれた友人は今はロスでセッションミュージシャンとして活躍しています。
一度だけある歌手の方がボサノバチックなシングルを出したんですよ。当然バックのギターはガットで、歌中もガットのバッキングがメインの曲でツアーや放送で3ヶ月程必要になってしまい、その時ばかりは困り果ててしまいました。
結局1本買ってしまいました。買ったのは渋谷の昔のESPの近くにある“ギタルラ社”と言うお店で値段もそこそこでさすがに自分でも躊躇した覚えがあります。
さすがにいい音がしました。
結局なんだかんだ必要に駆られると楽器に出費がかさんでしまうんですよ。
ライブでは色々な曲調の演奏を再現しなければならないので、アコギやガットもそこそこ弾けるようには練習したもんです。
現役を辞める時に全ての楽器は処分したんですが、オベーションだけは何故か売れ残ってずっと持っていました。
そのギターもつい最近ある知人に引き取られて行きました。





